イアン・カッツはガーディアン紙の副編集長である。1990年に若者向けのページの編集者としてガーディアン紙に入社。以来レポーター、ニューヨーク特派員、G2(ガーディアン紙の別冊)の編集も担当。
未来の世代が気候変動の歴史について書こうとするとき、誰の目にも明らかなパラドックスに驚くはずだ。21世紀の最初の10年間に暮らしていた、教育を受けた何百万人もの人々が(おそらくそのほとんどが)、温室効果ガスの蓄積がもたらす脅威と、自分もその脅威を生み出す一因であるという事実を認識していたにもかかわらず、何らかの行動を起こしたのはごく一握りの人々だけであったということだ。
相次ぐ世論調査の結果がこの矛盾を明らかにしている。例えば英国交通省が昨年行った大規模な調査によると、成人の81%が非常にあるいはかなり気候変動を憂慮しており、4分の3がその脅威に立ち向かうために自らの行動を変える意思があると回答している。しかし具体的にどう行動を変えるかというと、残念ながらせいぜいリサイクル可能なごみの分別をする程度だ。ごく少数の高徳な人たちを別にすると、地球温暖化に対する我々の反応は有言不実行の典型的な例である。
今世紀初頭にいる我々にとっては、これは無理もないことといえる。私の同僚レオ・ヒックマン氏の表現を借りると、自分の腰かけている枝を切り落とすのが賢明でないことを、ほとんどの人が認識できたとしても、実際に何か策を講じるためには、想像力を飛躍させるのみならず、自己の利益や道徳的責任の概念を拡張させる必要が生じる。今我々に求められているのは、未来の世代を危険から守るために真の犠牲を払うことだが、その危険が具体的にどのような性質のものなのかはまだはっきりしていない。人類というのは、このような長期的なものの見方は決して得意な方ではない。我々の脳の配線がそもそもそれを阻んでいるという説を唱える進化生物学者たちもいる。また自由な個人主義が台頭したため、目の前にある短期的な自己利益が脅かされない限り、集団的反応を形成するのがいっそう難しくなった。
さらに厄介な現実がある。気候変動に対処する行動を促そうとする人々はうまく言い繕っているが、温暖化の影響を最もひどく受けるのは、北の先進国に暮らす我々の子供や孫ではない。実際、平均気温が2~3度上昇するという話を聞いて、ストックホルムの気候よりセビリアの気候に近くなったほうがかえって過ごしやすいかも、と密かに思ったことのあるイギリス人も少なくあるまい。
温暖化防止に少しでも貢献したいと考える善意の人でさえ、ここまで大規模な問題に直面すると、自分を無力に感じ、為す術を失うであろう。自分がCO2排出量削減に努力したところで、ほとんどの人がこれまでと変わらぬ生活を続けるのなら、何の意味があろうか。そもそも世界のCO2排出量のうちたった2%を占めているにすぎない英国内で何をやっても意味がないだろう。中国が毎週のように建てている新しい石炭火力発電所はどうだ。私一人、あるいはイギリスが何をしたって無駄な努力に終わるだけではないか。
アメリカ人の経済学者ギャレット・ハーディン氏が「共有地の悲劇」と呼んだ種類の問題の中での、地球温暖化問題はおそらく最も顕著な例といえよう。ハーディン氏は共有地である牧草地で複数の農民が牛を飼う場合について考察した。それぞれの農民は自分の牛を増やすことによって様々な恩恵を受ける。個々の農民が偏狭な自己利益を追求し牛の数を増やし続けると、その一方で牧草地に放牧される牛の増加による影響はすべての農民に降りかかってくる。こうして農民たちはいやおうなく破局への道を辿ることとなる。
それに加え、気候変動に関する論議の多くは緊急性を伝えることにほとんど成功していない。科学者や政治家は、今世紀末までにCO2レベルを「安定化」させることについて議論している。外交官たちは目標の設定を2020年にするか2050年にするかで論争している。これらの議論を聞いていると、心配するのは来月あるいは来年まで引き延ばしても差し支えないような気がしてくる。しかしほとんどの人々が認識していないのは、我々はすでに運命の瀬戸際に到達しているという事実だ。科学者たちの一致した意見によると、危険な温暖化を避け得る可能性があるとすれば、地球規模のCO2排出量のピークを今から5~10年後とし、その後下降させ始めることが必要となる。そしてこの目標を実現させるためには、ただちに排出量を削減し始めなくてはならない。明日にでも、来週にでも、来月にでも。
環境思想家のティム・ヘルウェッグ‐ラーセン氏は、お湯が注がれ続けている浴槽に例えて気候変動問題の緊急性を説明する。温暖化というのは、大気中の温室効果ガスの総量に影響されて引き起こされる。我々が心配すべき点は、単にどれだけのお湯が浴槽内に流れ込んでくるかということではなく、実際に浴槽内にあるお湯の総量である。浴槽からお湯が溢れそうなのに、排水口から出て行くよりも早い速度でなおもお湯を入れていたならば、早急に蛇口を閉めなくてはいけない。さもなければ浴槽のお湯が溢れてしまうことはまず防ぎ得ないであろう。
今年5月に世界有数の科学者たちが参加したロンドンの集会では、どれだけ早急に蛇口を閉める必要があるか明確になった。世界のCO2排出量が、今後わずか6年以内に減少し始めるのでなくては、臨界値である+2℃を超える温暖化を避け得る可能性はほとんどない、と彼らは結論づけた。臨界値を超えると、いわゆる「フィードバック」が始まると科学者たちは懸念する。温暖化がますます進行し、干ばつや洪水といった異常気象現象が起こり、その結果何百万もの人々が路頭に迷い飢餓に苦しむこととなるのだ。
ガーディアン紙の協力のもと9月1日に発足した10:10キャンペーンは、迅速な行動の必要性に応じるものであると同時に、個人そして組織に有意義な協力方法を提供している。当キャンペーンを発案したエネルギッシュなフラニー・アームストロング女史は、気候変動に取り組む我々人類の失敗を描いた迫力あるドキュメンタリードラマ“The Age of Stupid”の監督だ。キャンペーンの趣旨は、いたってシンプルで説得力がある。個人あるいは多国籍企業・学校・病院などの組織が、2010年末までにCO2排出量を10%削減する最大限の努力をすると、署名によって誓約するのだ。この目標はまさしく科学者たちが必要と唱える迅速かつ大幅な削減である。
気候変動問題と闘うために我々に求められている行動は、往々にして些細なものであったり、逆に極端に自己犠牲的なものであったりする。これが10:10キャンペーンの中核にある認識だ。環境ライターのジョージ・マーシャル氏も力説するように、例えばリサイクルといった簡単で「達成可能な」目標は、個々人のライフスタイルの環境への影響についての国民の理解を歪めてしまった。それどころか、問題を矮小化する危険性をも生み出した。一方で、ある種の環境保護論者たちが求める徹底的なライフスタイルの変革は、少なくとも今はまだ、ほとんどの人々の許容範囲を超えるものだ。「単にライフスタイルを変えることが求められているのではない。周りの人々とは非常に異なる生活が強いられる」と低炭素社会の専門家クリス・グッダルは言う。「ほとんど攻撃的な行動ともいえるだろう。主流の社会環境から突然外れるのだから」
ブレアの第3の道を連想させる危険はあるものの、10:10キャンペーンは達成可能でしかも意味のある行動を促進することにより、この両極端の間に中道を見出そうと試みる。今後1年ほどの間にCO2排出量を10%削減することは、イギリス全体としては低炭素社会への道を踏み出す有意義な第一歩を意味する一方、我々一人一人にとって、そして多くのビジネスにとっては、比較的取り組みやすいささやかな挑戦である。最初の10%は、専門家が「手の届く果実」と呼ぶ挑戦だ。例えば電球を換えたり、住宅をより効率的に断熱したり、セントラルヒーティングの温度設定を下げたり、年に1~2回の飛行機の旅を鉄道の旅に変えてみたり、など比較的少なめの犠牲で達成し得る省エネ活動である。またこれらの簡単なステップをすでに実践している者たちにとっては、次の10%も、西洋の消費者のライフスタイルをおおかた放棄せずとも達成し得ると、我々の行った複数のケーススタディが示している。最近CO2削減に挑戦したオックスフォードの住人グループは、昨年一年間で25~30%のCO2排出量削減に成功している。
今後16か月間、我々は実際の取り組み方法についてふんだんにアドバイスを提供し、10%の目標達成に挑む家族やビジネス、その他の組織を複数、追跡調査する予定だ。またオンラインでも紙面上でも、皆さんがお互いのノウハウ・経験・サポートを交換できる場を提供するつもりである。何が有意義で何が象徴にすぎないのかを皆さん自身が判断できるよう、起こし得る変化を厳密に定量化することに重点を置きたい。
このキャンペーンはすでに驚異的な反響を呼んでいる。キャンペーンの公式スタート以前から、多種多様かつ驚異的な数の支持者を集めたのだ。支持者はネット食料品店 Ocadoから、主要なエネルギー関連会社3社、プロサッカーのプレミアチーム、組合や非営利団体、そして芸術・ショービジネス・宗教・テレビ・政治などさまざまな分野で影響力のある人物たちまで多岐にわたる。
10:10キャンペーンの中核となる思想の力は、これまで想像もつかなかった協力関係の成立にも表れている。数か月前までは発電所のフェンスに体を縛りつけていたような活動家たちと、エネルギー関連会社のCEOたちが手を取り合っている。また最高にクールなインディーバンドのストーノウェイとレヴァランド・アンド・ザ・メイカーズのリズムに合わせて、婦人会のメンバーが行進する。(バンドはテート・モダンで今夜開催される10:10キャンペーン開始イベントで演奏予定)
今後数か月間で、何万、もしかしたら何百万人の人たちが10:10タグバッジを身につけるようになるのでは、と我々10:10チームは期待している。使われなくなった航空機から金属のくずを回収して作ったタグバッジだ。(タグバッジをこの夏、緊急に大量発注したことで、ブラックユーモアたっぷりのハプニングが起きた。このタグバッジは、政府が予期している新型インフルエンザによる何千人もの死者につけるために準備されているものだという噂が流れ始めたのだ)しかし10:10チームは、ここで活動を終わらせるつもりはない。個人・企業・組織などから十分な数の署名を集めたら、次は国民のコミットメントに見合う行動を取るよう政府に働きかける。
最近になってイギリス政府は経済を脱炭素化する方向に向け重要な一歩を踏み出した。しかしながら、最悪の事態を避けるにはほとんど奇跡が必要な状況に我々は今置かれている。この事実は、世界主要国の政治家層のリーダーシップが全く機能していないことを物語っている。ほとんどの政府とその有権者たちは、いかんともしがたい膠着状態にある。他の者が問題に真剣に取り組む姿勢を見せるまで、誰も行動を取ろうとしないのだ。このような壊滅的行き詰まり状態を打破することも10:10キャンペーンの目的の一つである。
疑い深い人はお決まりの質問を投げかけてくるだろう。気候変動に関する重大な国際会議を数ヶ月後に控えているこの時期に、なぜ一方的な行動を取らなくてはいけないのか。ちっぽけな辺境国のイギリスで起こすキャンペーンが、極度にグローバルな問題に果たしてどれだけ影響力を及ぼし得るというのか。
これらの疑問に対しては、10:10キャンペーンの多元的な協力体制を反映し、キャンペーンのさまざまな角度から多種多様な答えが生まれる。グッダル氏ならば、はばかることなく端的に道徳的責任の観点から答えるだろう。「我々が引き起こし、今なお引き起こし続けている問題があるならば、我々には何らかの対処をする道徳的責任がある。他の人々に、自分の生活に責任を持つよう求めるのなら、我々ひとりひとりが、まず自分の生活に責任を持たなくてはならない」そして少し悲しそうにグッダル氏は続ける。問題は攻撃的な実利主義の台頭によって、このような明確な立場が完全に皮肉の対象にならないまでも、古風で風変わりに見えてしまうことだ。
地球規模の大きな行動を引き起こすために10:10キャンペーンが果たし得る役割について、アームストロング女史は、より実用的な見解を持っている。今年12月コペンハーゲンで行われる重大な会議では、各国の指導者たちが気候変動問題に関する国際合意の成立を試みる。しかしどんなにうまくいっても、成立する合意は危険な温暖化を避けるには決して十分なものではない。この会議について少しでも知っている者はそう考えている。アームストロング女史は、より迅速に行動するようイギリス政府を促すことで、イギリスを指導的立場に置くことができ、その結果、より強力な協定の成立を期待できると考えているのだ。楽観的ではあるが、全く突拍子もない構想というわけではない。もともと自分たちが引き起こした問題に対し豊かな国々がきちんと対応策を講じている確固とした証拠を見ない限り、発展途上国、とりわけ中国やインドといった国は、炭素排出量制限に従うつもりはないと一貫して主張している。私も中国の外交官が話しているのを幾度か耳にしたことがあるが、彼らはイギリスや欧州諸国が目に見える形で有意義な行動を起こすことを重要と考えている。ヘルウェッグ-ラーセン氏は精神的指導力の重要性について力説する。「我々は、進歩とは何であるかを提示し、行動することによって互いを刺激し合っていく必要がある。思想には力がある」
さらに辛口の批判家はこう反論するだろう。10:10キャンペーンは「口当たりのいい」単なるまやかしであり、破綻した経済モデルのひび割れを覆い隠しているにすぎない。キャンペーンの主導者たちでさえ、10:10は今後求められるライフスタイルへ向かう本格的な移行のための第一歩であるとしか言っていない。しかし環境の専門家の中でも特に厳しい数人が、このキャンペーンは科学の要求と合致していると保証してくれているのは意味深い。辛口の気候学者ケヴィン・アンダーソン氏もその一人だ。彼は政治家や自分の同僚たちを、我々の置かれている状況の危険性について正直に語っていないと批判した。
しばらく前に私はある著名なヨーロッパ人科学者と話していて気が重くなった。彼は生まれつきの楽天家なのだが、この日はいつもと違って元気がなかった。最近、あるヨーロッパ政界のリーダーに、気候変動に関する最新の科学的見地をブリーフィングするよう頼まれたそうだ。そのリーダーは彼の話に耳を傾け、そしてこう言ったそうだ。コペンハーゲンの合意は、一番うまくいって、2050年までに世界的CO2排出量を2000年比で50%削減できる程度だろう。そこで科学者は説明した。専門家によると気温上昇が臨界値の+2℃を超えると、温暖化の暴走を引き起こしかねない。50%の削減では、そのレベルの気温上昇を防ぐチャンスが50%しかないことになる。しかしこの政治家は、それ以上高い目標を立てても構想は絶対にまとまらないと言い張ったそうだ。そこで科学者はこう言ったそうだ。「五分五分の確率で墜落する飛行機に誰が乗りたいと思いますか」
10:10キャンペーンはこのような賭けはご免だと宣言するものである。我々を乗せたまま、せまりくる危険に頭から突っ込んでいくバスの運転手からハンドルを奪い取るものである。責任を果たすという昔ながらの伝統的な考えであると同時に、自己利益という考え方の、共同体としてのより進んだ理解でもある。普通の人たちが達成し得るもの、そして人間性そのものに関する楽観的な見方である。さて、今度はあなたの番だ。
この記事が最初に掲載されたのは、guardian.co.uk(2009年9月1日(火)イギリス夏時間00:05)。
翻訳:金関いな
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