「プールのろ過装置を常時つけておくと大量の電力が消費される。プールを清潔に保つために最低限必要な時間のみ、しかもピーク時を避けて作動させれば節約になり、電気供給システムにかかる需要圧力が減り、ひいては地球を救うことにもなる」
これは、つい最近シドニーの地方紙でナタリー・アイザックス氏が提言したものだ。アイザックス氏はClimate Coolers(気候冷却のための女性団体)の共同設立者かつCEOである。彼女は1Million Women(100万人の女性)という大々的なキャンペーンを立ち上げたところで、節電により「100万人の女性の力を持ち寄り、二酸化炭素100万トン削減する」ことを目標として掲げている。
しかし本当にろ過装置を「1日4、5時間の使用に抑える」ことで地球を救えるのだろうか?もしできないとしたら、さらに多くの人々を巻き込んだ環境保全運動を起こし、大きな結果をもたらすことは可能だろうか。
「ダウンアンダー」(オーストラリア)がトップ
地球の汚染に関しては、オーストラリアがトップである。オーストラリアで、1人当たりの温室効果ガス排出量が最も高いのは、いわゆる「オーストラリアン・ドリーム」に起因している。これは、大きな区画の大きな一軒家に住み、たいていは1人に1台の車を持ち、膨大な量の肉を食し、そして幸運ならば(と言っても多くがそうなのだが)、庭に電力を大量に消費するプールを持つというものだ。一言で言えば、「オーストラリアン・ドリームは環境にやさしくない」のである。
しかし、電力や食料の値段が高騰し、水不足が予測され、肥沃な農村部での都会化が急速に進むといった状況を全てひっくるめて考えれば、オーストラリアン・ドリームが悪夢へと変わるのはそう遠い日のことではない。
ピークオイル説に関して言えば、オーストラリアを代表する報道番組Four Cornersのジョナサン・ホームズ氏は、2006年放送の「ピークオイル?」と題した特集で、安い石油の時代が終焉を迎えつつあることの意味を説明した。さらに2年遡る2004年の「郊外の終焉:石油枯渇とアメリカン・ドリームの崩壊」と題したドキュメンタリーでは、多くの専門家が、そう遠くない将来に郊外という概念が終わりを迎えるというシナリオについて述べた。
しかしながら、今のところ、オーストラリアの2大政党のいずれも、現在の生活スタイルが長期的に存続可能かどうかを疑う声をあげていない。それどころか、先週(11月20日)オーストラリアの上院はピークオイル説を認めるGreens motion(環境に関する動議)を圧倒的多数が否決した。野党の政治家の多くは今でも、気候変動は現実ではなく陰謀だと考えているのである。
メッセージを伝える
緑の党はオーストラリア人に持続可能な生活スタイルを呼びかけてきている。しかしそのようなメッセージは、時間とお金も十分あって、家のローン以外にも関心を向けられる「中産階級のインテリ」と揶揄されるような少数派にしか届かないという傾向にある。
緑の党や、「Get Up!」などのネット上の社会運動などの努力にも関わらず、メッセージはなかなか伝わらない。最近の世論調査では、「地球温暖化は深刻かつ切迫した問題である」と考えるオーストラリア人の数は2006年の68%から、現在は48%へと減少している。
大きく宣伝されている1 Million Womenキャンペーンは、まだその影響力を評価する段階ではないが、オーストラリアの「娘、母、姉妹、祖母」のイメージを使い、家やプールの所有者に温暖化防止活動を促進しようとしている。一例として、パムという女性が2つ目の冷蔵庫の電源を切るなどの対策をしたと語っている。
先進国の中産階級に向けたこのようなキャンペーンでは、「2つ目の冷蔵庫の電源を切る」とか「電球を交換する」とか、「毎週食べていた赤身の肉を一度は減らす」などのように、ごくささやかな対策に焦点をおくことが多い。日々の節電やリサイクルなどは重要ではあるが、それによって気候変動やピークオイルへの対策になるほどの効果をもたらすものではない。
たとえオーストラリアの女性全員が、そしてうまくいけば男性も、大きな家での小さな節約を心がけ、それぞれが二酸化炭素1トン分を削減したとしても、それは私たちの行動を尺度にしたものでしかなく、地球存続のために許容できるガス排出量を考慮に入れているわけではない。
「グローバル・キャップ」とは、温室効果ガス排出量を、地球の持続可能なレベルで世界中の諸国民に均等配分するという考え方だ。その量の計算はいろいろあるが、ある提言では二酸化炭素排出量の上限を、今後40年で1人当たり110トン(年間2.75トン)に設定するよう求めている。取り返しのつかない、制御不能な気候変動を招かないためには、その量が適切なのだそうである。
「現実主義者」vs「原理主義者」
では環境に優しく、かつ国民全体に訴えかけるような運動を起こすことは可能だろうか?
ドイツでは「環境保全主義はドイツの政治に深く浸透している」と、多くの人々に認識されている。これは過去数十年の間に問題となった核廃棄物や酸性雨への関心が引き継がれているためであろう。しかし、もともと緑の党は妥協を許さない「原理主義者」と、交渉を大切にする「現実主義者」に分裂していた。現実主義者は「ドイツの法律は少数党に肩入れしているとの訴えを正しく見抜いている」。この分断は、人々をある目標に向かって努力させるには、怖がらせるのがよいのか、それとも励ますのがよいのか、という今も続く議論を反映したものだ。
メディアからの注目と影響力を得ようと、1 Million Women は励ます方を採用し、州政府やBPオーストラリアとの提携を求めた。この親会社BPはカナダのオイルサンドに出資している企業だ。
しかしこのような現実主義的アプローチのおかげで、このキャンペーンが人々を「市民」というより「消費者」として捉えているというメッセージが伝わってしまった。一方、一般市民に訴えかけるため両方の均衡を保っているのは、アル・ゴア氏のカリスマ的な力を利用した、アメリカのRepower America(リパワー・アメリカ)である。ここでは政治家に直接訴えかけるための様々な活動擁護の手段を提供している。
1 Million Women のようなキャンペーンが更なる信頼を得るためには、環境への個人の責任に焦点をおくだけでなく、通常の活動で経済的、政治的権力を得ている大企業や政府にも対応を迫るべきだ。マスコミへの影響力を利用して、このキャンペーンの大使に働きかけることから始めるとよいだろう。例えば気候変動・水資源担当大臣ペニー・ウォン氏である。ウォン氏は皮肉なことに、気候変動に対するオーストラリアの関心の低さや条件付き反応などの対応に追われている。
あなたの責任を果たそう
政府や企業がスポンサーとなって「あなたの責任を果たそう」などと訴えかけるキャンペーンを偽善的だと捉える人もあるだろう。プールがあるのは向こうの家なのに、なぜ自分が犠牲を払わないといけないんだ、と。開発途上国もCOP15(国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議)で似たような議論を展開している。
いずれの場合もより創造的な対応が必要である。
環境活動には様々な階層があるが、彼ら全員が協力し合うべきである。長期的持続可能性を謳う者は、変革をもたらす運動において、新しい人々を議論に参加させるような実用的な戦略をとるべきだ。より強力な環境擁護者は、人々を強く動機付け、政治的不正に立ち向かう場としてキャンペーンを利用すべきだ。既に理解を示している人々に改めて説教をする必要はない。
さらに長期的には、一般市民が生活スタイルを大きく変えることに真剣に取り組むための議論に参加しない限り、彼らを巻き込む利益はほとんどない。より有効に土地を利用した小さめの家に住み、食料とエネルギーにもう少しお金を払うといった変化である。責任あるリーダーは、たとえ耳の痛い話でも必要なことを市民に伝えることが必要である。
そして気候変動の道徳的意味を理解し、人類の命を平等に大切にする気があるならば、そもそも自分の家にプールを所有することが必要かどうか、再考すべきではないだろうか。
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1 Million Women キャンペーンは、ブリスベンで11月24日に、メルボルンでは12月3日にWomen in Climate Change National Forum Seriesを開催する。
翻訳:石原明子