インドネシアに行ったことのある人なら誰でも、ガソリン、特にオートバイのガソリンは、ナシゴレン(焼きめし)やエス・テー(甘くて冷たいジャスミンティー)と同様に、日常生活の必需品であることを知っている。
だからこそインドネシア政府は、燃料価格の高騰と、それに伴う食料価格の高騰に備える大きな決断を下したのだ。食料価格は大きく石油価格に左右される。
石油価格の値上げに反対する全国的な抗議活動が行われているにもかかわらず、インドネシア議会の決定により、スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領は、2008年以来初となる石油価格の引き上げを実施することができた。
石油価格の大幅な値上げが最後に実施されたのは、1998年のアジア金融危機の直前だった。その結果、インドネシアで最も長く続いたスハルト独裁政権は崩壊に追い込まれた。
かつては純輸出国だったインドネシアの国内石油生産は1995年にピークを迎え、それ以降、年間3パーセント程度の割合で減少し続けている。こうした傾向は、かつての石油輸出国の多くで見られる世界的なパターンだ。
現在、1日2ドル以下で生活している多くのインドネシア人にとって、提案された1リットル当たり65セントの値上げは大きな痛手となるだろう。つまり、多くの開発途上国の政府と同様に、補助金で低く抑えられた石油価格に慣れたうえに人口増加を続ける国民と、石油埋蔵量の減少によって生じる国家予算の負担増の間で、インドネシア政府は板挟みになっている。2011年にOur World 2.0が報告したように、世界4位の人口を抱えるインドネシアはすでに純石油輸入国に転じた。そのため、石油への補助金の負担が何十億ドルも増大したのだ。
世界屈指の眠れる経済成長大国インドネシアにおいて、このような補助金政策が恩恵をもたらさなかったわけではない。人為的に石油価格を低く抑えることで、何百万人もの国民が調理や食事にかかる費用、職場や学校への交通費を安く済ませることができた。さらに、政府のちょっとした支援のおかげで、何千もの工場が操業でき、世界市場で「競争力を発揮する」ことさえ可能になった。
一方、補助金の欠点は、低価格が標準だという期待を生み出したことだ。世界的にピークオイルが近づき、石油価格が再び急騰しているなか(1バレル100USドル強で上下している)、補助金は経済的に持続不可能となった。そこで問題となるのが、政府はどの時点から石油への補助金を削減すべきか、そして、どうすれば最も貧しい人々に深刻な影響を与えずに補助金を減らすことができるのか、という点である。
アフリカの状況
石油への補助金の問題は、もちろんインドネシアに限ったものではない。石油生産や政府による補助金の恩恵が一般市民に確実に届いていない国が、アフリカでも主要な石油産出国ナイジェリアだ。今年1月、名前にそぐわず中傷を受けたグッドラック・ジョナサン大統領は、長年行われてきた政府による補助金の撤廃に乗り出した。
抗議の圧力を受け、よくある状況に置かれたジョナサン政権は、若干の譲歩を示し、石油補助金の60パーセントを復活させた。しかし、同政権は自らが生み出した予算の切迫により、補助金撤廃の路線は変えない予定だ。
こうした状況を広い視野から見た場合、補助金だけでもナイジェリアの国家予算の30パーセントを占めており、その結果、重要な分野への支出を「締め出している」。例えば教育には国費のわずか8パーセントしか充てられていない。また、他の多くの国と同様に、ナイジェリアの資源の呪い(自然資源の豊かさに反比例して経済成長が遅れるという仮説)も汚職の横行を定着させる原因だ。
一方、アフリカの13の非石油産出国(例えばエチオピア、セネガル、南アフリカなど)では、石油輸入への依存が、支援や債務免除の恩恵をほとんど無効にする方向に働く。Global Dashboard(グローバル・ダッシュボード)でアレックス・エバンズ氏は、国際エネルギー機関による調査結果に基づいて次のような指摘を引用している。
「新たな統計によれば、昨年(2011年)アフリカの開発途上諸国が海外から得た援助金は、石油輸入費よりも少ない。サハラ以南のアフリカは昨年、海外から開発援助金として156億ドル(97億ポンド)を受領したが、石油輸入費はこれを上回り、180億ドルだった……」
エチオピアで執筆していたエバンズ氏は、石油輸入費の影響が様々な側面に及んでいることを次のように説明した「アディスアベバでは、まだディーゼル燃料の在庫があるガソリンスタンドを探しながら人々が車を運転している場面に、たびたび遭遇する」
ある人々には安く、ある人々には高い
もちろん、石油の安さとは相対的な現象である。つまり、ナイジェリアやインドネシアでは安いと見なされる価格でも、政府の補助金が言論の自由よりも当然の権利であるベネズエラやサウジアラビアでは途方もなく高いと受け取られる。
先進諸国では、ガソリンの店頭価格が上昇すれば確かに生活は厳しくなるが、少数の例を除けば、食料を買えなくなるほど厳しくはならない。政府の緩衝政策のおかげでガソリンの値段が先進諸国の中で最も安い国の1つであるアメリカ(US)では、12カ月前よりも価格が12パーセント上昇し、国民は困惑している。
推計では、アメリカ政府は毎年およそ40億ドルを主要な石油生産企業に補助金として提供している。しかし、オバマ大統領や過去の大統領たちが取り組んだ、石油産業への補助金の撤廃に向けた試みは成果を生んでいないことが明らかになった。
恐らく、ビル・マッキベン氏が最近論じたように、私たちに必要なのは、何に補助金を出し、何に出さないべきかという明確なルールだ。マッキベン氏が挙げた第2のルール「人々に補助金を永遠に出し続けるな」は、アメリカで勢いを取り戻したティーパーティー率いる右派と論理的には共鳴するはずである。彼らは今の世代や未来の世代に負債や損失を負わせることを懸念している。しかし負債を削減する方法として、石油補助金は人々の議論に上がることさえないのではないだろうか。
EcoCentric(エコ・セントリック)というブログでピーター・ハンロン氏は、つい最近の措置について次のように論じている。「石炭や天然ガス企業には一切言及せず、世界で最も収益を上げている大手の石油企業5社だけを対象とした。しかも、石油産業やガス産業に対する税額控除の撤廃を求める国民の圧倒的な支持があったにもかかわらず(最近の世論調査によれば74パーセントが支持した)、自社の収益が合計でおよそ1兆8000億ドルに上る5社への公的資金の供給撤廃を、上院は適切だとは考えなかった」
共和党員たちがアメリカ大統領選挙の話題を厳しい経済状況から遠ざけようとする試みがますます激しくなっている現状に注目してほしい。経済は雇用機会を再び増やし始めている一方、ガソリンの店頭価格は上昇する傾向にある。すでにOur World 2.0で述べられたように、成長経済と低いエネルギー価格の間には緊張関係が存在するという考えは、多くのエネルギー経済学者によって支持されている。
「現在、世界的な経済成長に追い立てられ、私たちはまた新たなエネルギー価格の急騰の始まりを見るだろう。そして世界の国々はまた好不況の循環にはまってしまうのだ」と私たちは2010年1月に論じた。現在の不安定な経済状況において、この論点が実証されるか否かは、時間の経過と共に自ずと明らかになる。
では、インドネシア、ナイジェリア、アメリカ、あるいは率直に言えばどの国でもいいのだが、石油への補助金にはその金額に見合った価値があるかどうか、皆さんにも考えていただきたい。もし価値があるなら、いつ、どんな状況で効果があるのか? もし金額に見合う価値がないなら、政治家には補助金を撤廃しようという政策を貫く勇気や有権者からの信頼があるだろうか? どのようにしたら政府は補助金のゆがんだ影響を受けずに持続可能なエネルギー政策を展開できるのか? あなたは進んで石油の補助金撤廃を受け入れて、ガソリンの本当の金額を支払うことができるだろうか?
翻訳:髙﨑文子