ベン・シェファード氏は豪シドニー大学、Center for International Security Studies(国際安全保障研究所)の食糧安全保障研究者。主な研究対象は飢饉と紛争の関係。また持続可能な食料供給の方法について個人的に高い関心を持つ。
質問:地元で採れたリンゴ、トマト、卵より良いものは?
答え:家族が手塩に掛けて育てたリンゴ、トマト、卵です。
自分の手で食物を生産するということは、地産食品を食べるという点で健康や環境、コミュニティに利益をもたらすだけではない。子供たちにとっては非常に重要な課外授業の役割を果たす。
食べ物の産地、自然環境の価値、リンゴが食べ頃になるのを楽しみに待つという喜び(忘れられつつある)を子供たちに知ってもらうことは何よりも大切なことなのだ。
素晴らしく牧歌的、そして理想的だ。
問題は、私も含め多くの人々が田園地帯からは遠く離れた人口400万以上の都市の小さなアパートで暮らしているということだ。オーストラリア、シドニーの私が住む地区にはファーマーズマーケットでさえ月に一度しかやってこない。つまり、地産食品がどれほど良いものであろうと、実際に生産を手掛けることは大変難しいのである。
しかし、もう少しよく考えてみよう。都会で農業をするにはどのような要素が望まれるだろうか?トマト数個を作るなら話は別だが、土壌はもちろんのこと、日光や雨が不可欠だ。
果物、野菜、できればプロテインを含む肉や豆類も提供したい。しかし、何百何千という都会の住人が相手となると広大な土地が必要となる。十分に緑化、灌漑され、養分に富んだ土地であることが好ましい。
奇妙に聞こえるかもしれないが、私が住んでいる都市はまさに農作に適した資源が豊富で肥沃な土地なのに、今現在作物を生産することができない。
シドニーのより大きな都市部には、2,500ヘクタールを優に超えるこのような土地が存在する。何千人にも及ぶ市民に新鮮な地産食品を供給するのに極めて適した土地だ。平均生産収率で見た場合、私が住むオーストラリアの州では1ヘクタール当たり59,000トン以上のジャガイモを収穫できる。
しかし、残念ながらそのような土地は公共のものではない。一握りの裕福な上流階級の主に男性が利用するために隔離されている。
ここで引き合いに出しているのは、いわゆるゴルフ場と呼ばれる場所だ。なだらかな起伏のあるフェアウェイ、平らなグリーン、池、そして「ラフ」。灌漑され、栄養素もたっぷり含んでいる。これらが一体となって多毛作に最適な環境ができあがる。
実際、ゴルフ場には十分な広さがある。野菜などの植物や果実の木を育て、ヤギの群れを飼うだけでなく、淡水魚、水栽培野菜、アヒル、ガチョウのための湖をつくるスペースさえある。地元のコミュニティのすみずみにまで多くの恵みもたらすことができる生産可能なパーマカルチャーの環境が魅力的な展望を開く。都会の生活を維持しつつ、地産食品も享受する。簡単に一挙両得を成す手段になりうるのだ。
方法はいくつもある。ゴルフ場をゴルファーとシェアして使う。生産者が利用することを考慮して、ゴルフ場として使う面積を減らす(18ホールなくても、9ホールでいいのでは?)、ゴルフはリゾート地やカントリークラブなど人口密集地から離れたところでプレーしてもらい、都市部にあるコースは食物生産や二酸化炭素回収、公園、野外教育の場として利用するため地元コミュニティに返還してもらう。
ゴルフを禁止し、都市部のコースを乗っ取るつもりは全くない。ゴルフ場の土地をより公平に使う提案をしたいだけなのだ。
しかし、ゴルフというスポーツは企業の有力者や大物政治家が興じるもので、そのような提案を実行するには強力なリーダーシップと度胸がいる。
それどころか、ゴルフコースを譲り、生産者と敷地をシェアするなどという提案をすれば、オーストラリア人口の2%ほどしかいない富と権力を有するゴルフクラブのメンバーから激しい非難にあうのがおちだ。
そして、このような提案をすれば「チャベス派」「共産主義者」呼ばわりされるであろう。ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領が最近の演説でゴルファーとゴルフ場を批判しているからだ。(最近ベトナムではゴルフが環境に与える影響が問題視されている。ゴルフ場建設の拡大を懸念するのは決してチャベス大統領だけではない)
ゴルファーからは次のような反論が持ち上がるのではないだろうか。広大な敷地を耕作するには多大な労力を要するが働き手がいない。水やり、灌漑、土地管理には費用がかさむのでゴルフ場の使用料なしでは成り立たない。土地が開拓され荒廃し「共有地の悲劇」を招く。ゴルフ場は多くの人々に健康と娯楽を提供する場であり、ゴルファーには余暇と運動を楽しむ権利がある。
最後に挙げられた主張に異論はないが、電動カート(私が住む州では、石炭を燃料とする発電所で動力を得ている)に乗ることは「運動」外だ。しかし、ゴルフコースの規模がもっと小さければ、より多くのゴルファーがゴルフバックを自らかついで歩くことになる。そうすれば1ラウンドで消費する運動量も事実増えるではないか!
しかし、労働力とコストに関する反論は単なる言い訳だ。学校、生徒、在宅の父母、退職者、家族、庭を持たないアパートの住民、地元の都市コミュニティとつながることで、意欲的に活動に参加してくれる多くの人材を確保できる。人手が多ければ仕事は楽になるものだ。
コストの問題はどうだろう。生産物は消費でき、余剰分は売り物になる。つまり、地元コミュニティにもたらされる無形利益は少なくない。それを考えると、ゴルフ場活用にはコスト以上の値打ち、究極の価値があることになる。私の地元コミュニティを例に挙げると、大概の人々はゴルフをすることより木を植え、野菜を育て、ミツバチやニワトリを飼うことに強い関心を持ち、重要であると考えている。
「共有地の悲劇」について、ブロガーのイアン・アンガス氏は賢明な意見を述べる。悲劇は資源が利益目的で搾取される資本主義的、競争的環境でのみ起こる、と。資源とは公共の利益として分かち合ってこそ、管理維持され持続可能となることは歴史が物語っている。
これは、最高値入札者へゴルフ場の土地を販売し私有地をさらに取り囲んでしまうという類の問題ではない。むしろ正反対だ。地元コミュニティが最適とみなす方法で、そして住人が自分たちにできる貢献をして共有資源を活用していく、ということなのだ。
これまで述べた考えは単なる理想主義や前例のないことではなく、現代社会ではもはや一般的と言える。例えば、Hugh Fearnley-Whittingstall氏がRiver Cottageというテレビ番組で称賛したイギリスの共同コミュニティBramble Farmや、この動画で紹介されているニューヨーク市ブルックリンにある屋上農園がそうだ。
どうしたらうまくいくのか。ゴルフと都市部での食物生産が相容れないものと決めつけたり、チャベス大統領のように一方的な観念をもったりするのではなく、人口増加、都市化、地域の食生活や健康、食糧安全保障、気候変動など、地球規模の問題に取り組むため、コミュニティにおける解決策が益々求められているということを認識することだ。(ちなみに、食糧安全保障と気候変動の相互関係については、最近オーストラリアのClimate Institute(気候研究機関)が発表した研究のなかで、気候変動が食糧品価格と農業の生産性に与える脅威に対し措置を講じる必要がある、と警告している)
ゴルファーも地域社会の一員である。多様なコミュニティ、そしてそこで生活する人々を巻き込みゴルフコースという場を活かして、都市型農業など地域主導の取組みを夢から現実にすることができるのだ。
翻訳:浜井華子
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