金沢の生物多様性:春に学ぶ教訓

金沢の市街地周辺の生態系は、機能と美観という意味で街の物理的形状に影響を与え、ライフスタイルの維持という点でも、重要な役割を担ってきた。金沢という街が文化の中心地として花を咲かせたのは、周囲の生態系が多様だったからである。そうした生態系には、山林から清涼な水、平野、海洋環境までもが含まれ、街に豊かな資源とサービスをもたらした。

街の空間が気候条件および地域の社会文化的カテゴリーに基づいて形成される中、周辺の生態系の多様性を管理するために、独自の資源の使い方や習慣が生まれた。

兼六園で冬の雪の重みに負けないように木の枝を支える竹竿、紙傘の制作に必要な植物材料、街の建築物の木材は、古くからすべて金沢周辺の山林から得られるものであった。

管理システムが作られるにあたっては、山林に由来する物品やサービス、食料、生計の継続的な供給を確実にすることが考えられ、その結果として、人為的影響のもとで、地域の生物多様性を維持し、それに適合するランドスケープが生まれた。

春になり、暖かい風が金沢の山林を冬の眠りからゆっくり目覚めさせると、何世紀にもわたる管理により、人間が大切に守ってきた山林の生命力と多様性がたくましく姿を現す。元来、そのような管理は、山林の生産機能を守るためであったが、これらの山林は目を楽しませるものにもなっていて、春に生命力が見事に復活する様子は、自然の風景の美しさを堪能したいと願う観光客を惹き付けている。

春の繊細な自然の色合いは、季節の移り変わりをとりわけ大切にする金沢の加賀友禅作家の創造性に多大なる影響を及ぼしている。

写真:村上涼

写真:村上涼

里山: 都市周辺にモザイク状に混在する生態系

金沢を取り囲む丘陵部では、春は市街地より遅くやってくる。桜の花が兼六園で咲き始める頃まで、コナラの山林や水田にはところどころ、まだ雪が残り、梅の枝が花をつけている。雪解けの水をたっぷりたたえ、冷ややかに佇む灌漑池の表面は静かで澄んでいる。

金沢の周辺の山林は、日本では里山として知られるランドスケープの一部である。里山には、多様な生態系(二次林、農地、灌漑池、緑地)が人々の居住地の傍らにモザイク状に混在しており、人々はそれらを管理して、暮らしに役立つさまざまな生態系サービスを得てきた。

このようなランドスケープは、人々と生態系の間の長期にわたる相互作用の中で生まれ、育まれてきたもので、日本の農村部や都市近郊に最もよく見られる。古来、都市周辺の里山の山林は、木材、燃料、繊維、食料といった、さまざまな基本的資源を提供して都市コミュニティを支えてきた。何世紀もの間、金沢における建材需要は、都市近郊の山林で伐採された木材で賄われてきた。そのような建材は、城郭や寺社、家屋、橋梁などの建設や再建に利用された。

従来、金沢の建築物においては、さまざまな種類の木材が幅広い用途に応じて用いられてきた。丈夫で耐久性のあるアテの木は家屋の基礎に、杉は柱に、松は屋根の梁に、そして木目の美しいケヤキは家の中央の巨大な柱に用いられ、屋根を支えると同時に、建物の重要な装飾にもなった。

建材に加えて、金沢周辺の里山の山林は、1950年代に化石燃料に切り替えられるまでは、街に住む人々に薪炭材を供給するうえでも、重要な役割を果たしてきた。定期的に間伐や伐採を行うことによって、二次林は管理が行き届き、太陽の光が届く状態に維持され、多様な種類の木からは、さまざまな植物資源がもたらされた。その中には、タケノコ、キノコ、原木栽培のシイタケなどの食料も含まれる。

山林で採れる野生の食用植物は、金沢では今でも好まれている。人々は春になると、山林を散策しながら、フキノトウやゼンマイ、ワラビ、タラの芽、ウドなどを採る。近代医学が登場するまでは、山野草は薬にもなった。ゲンノショウコは整腸作用があり、ヨモギは止血に、ドクダミは体内の毒素を消すために用いられていた。

過去半世紀にわたり、里山の社会経済的生産ランドスケープは、都市化、近代化、工業化の影響が蓄積したことで、急激に衰退した。2つの相反する傾向が、金沢の里山に影響を及ぼしている。

まず、山林が住宅地や工場団地に転用されるにしたがって、物理的に山林の面積が減少した。その一方で、今日の里山の山林は、利用の減少と管理の不備から生じる問題にも直面している。その理由としては、都市生活者が薪炭材や建材として木材を必要としなくなってきたほか、都市部のエコロジカル・フットプリントが増加を続けていること、農村部では人口減少および高齢化が進んでいることも挙げられる。また一部では、里山の広葉樹林が成長の早い針葉樹の単一樹種に置き替えられている。

里山の劣化は、管理された山林、つまりもっと明るく、開けた環境に生息する種、およびそれらが提供する生態系サービスに悪影響を及ぼす。管理の行き届いた混交樹種の山林がなければ生息できない、ギフチョウのような蝶が危機にさらされていることが、里山の衰退を象徴的に示している。

管理が行き届いていた山林が放棄されると、たちまち樹木は節操なく伸び広がり、光が入らないほど絡み合う。タケノコを刈らずに放っておくと、雨期には特に勢いよく成長し、山林はもはや竹林と呼ぶ方がふさわしいものになって、太陽の光をほとんど遮るほどになる。高木の枝葉がぎっしり茂ると、光が地面まで届かないため、里山の山林と同程度の植物および動物の多様性は維持できない。また、樹木の繁茂が過剰になると、土壌生成、侵食防止、水分貯留、流域保護、炭素隔離といった主要なサービスを提供する能力も低下する。

金沢では、山林の活用が不十分な傾向を逆転させ、里山ランドスケープの豊かな生態系を保全しようと、市当局、地元大学、市民社会グループがさまざまなイニシアチブを進めている。これらのイニシアチブがいずれも力を入れているのは、人々とランドスケープの結びつきを復活させ、手入れの仕方を教えることだ。里山の野原や山林は、学びと遊びの場として紹介され、そこで都市生活者は自然に身を委ね、自然が守る野生の動植物相を尊ぶことを覚える。地元のボランティアは種の監視を行い、竹の伐り方を学び、水田を再生し、灌漑用水路を清掃する。一部の活動家は、里山の社会および文化的価値を経験することに重点を置き、参加者に、里山の資材を用いて伝統工芸品を作ったり、里山に関連する年間行事に関わったりすることを勧めている。市当局もまた、特定の樹木種の育成および収穫と金沢の工芸品産業を結びつける政策を模索している。

4月、雪がついに消えると、観光客はツアーを組んで、平栗という里山地域に向かう。平栗は金沢市が指定した自然環境保全区域の1つだ。ツアーで強調されるのは、伝統的な農村部のライフスタイルを通して、人々が里山に手を加え、保ってきたからこそ、そのランドスケープで豊かな生活が実現したことである。

毎田健治作、加賀友禅作品(写真:村上涼)

毎田健治作、加賀友禅作品(写真:村上涼)

加賀友禅:生物多様性と芸術への影響

仕上がったばかりの着物が、加賀友禅作家の工房の衣桁にゆったりとかけられている。絹の生地は斜めに2つの部分に分かれており、一方は砂色、もう一方は柔らかく、上品なグレーに染められている。それを背景に、紅白の花をつけた梅の枝が上から流れ落ちる滝のように描かれている。枝が伸びる先、着物の下の部分には、優美な曲線を描く、様式化された波が配置されている。まるで、花を咲かせる梅の木の枝の間から、川か池を眺めているようだ。

さらに花に近づいてみると、ほんのりと赤く色づいたつぼみ、開き始めたばかりの花、つぼみと枝をつないでいる色の濃い花梗などが見えてくる。花の中でも色には微妙な濃淡があり、おしべは細かい点で描かれている。さらに、枝にはピンクの小さな苔までついている。

日本の文学や絵画では、梅の花は「初春」と呼ばれる、春の始まりの象徴である。その時期はまた、太陰暦に基づく二十四節気では、最初の2つの期間の境目にあたる。この暦は、西洋の暦が1872年に採用されるまで用いられていた。その分け方を見ると、季節は均質な時間を区切るものではなく、その中でも時々刻々と多様に変容するものであることがわかる。春だけ見ても、実に多くの顔がある。

春は1年で最も寒い2月に始まる。この「立春」を迎えると、間もなく梅の花が咲き始める。次に迎えるのは「雨水」で、雪が雨に変わる。そして「啓蟄」に入ると、冬眠から目覚めた虫が顔を見せ、野草が芽を出す。「春分」を過ぎて、「清明」になると、桜の花が咲く。「穀雨」の15日間には、田畑の植え付けが始まる。

写真:村上涼

写真:村上涼

加賀友禅のデザインは春の自然の多様性を捉えている。豊富に用いられている植物のモチーフは、梅、桃、桜の花、木蓮、穂状の花が綿毛のように見える柳、菜の花、赤や白のハナミズキ、紫色のチャイナアスター、白い卯の花、春蘭など、枚挙にいとまがない。季節を象徴するものになじみが出てくると、友禅の文様を愛でる気持ちも一層深まるというものだ。

友禅は、元々は17世紀末の京都で、工芸師の宮崎友禅が創始したものであり、文様を描き、手作業で生地を染める。これは、前もって染めた絹糸を用いて織り上げ、伝統的に貴族階級の着衣に用いられていた織物とは対照的だ。宮崎友禅は後年、加賀に移り、そこで、自らが持ち込んだ新しい手法と、「加賀お国染」と呼ばれる地元の染色手法を統合するのに尽くした。こうして、密接な関係を持つ2種類の伝統的な友禅が生まれたのである。 京都の京友禅は、鮮やかな色彩で、より様式化された大胆なモチーフを用い、金属箔や刺繍も取り入れる。一方、加賀友禅は、より深みがある、繊細な色合いと、刺繍や箔は使用せず、染色だけで仕上げる技法を特徴としており、植物や鳥といった自然をテーマにすることが多い。

写真:村上涼

写真:村上涼

加賀友禅作家は自然の形、線、色を研究することをとても大切にしており、スケッチブックに記録もしている。しばしば用いられる手法の中には、模様に現実感を加えるものもある。たとえば、色に濃淡をつける「ぼかし」の手法は、厚みを感じさせるとともに、葉や花びらの上で光と影が戯れる様子も表すことができる。また、糊を用いて模様の輪郭を覆い、染料がにじみ出るのを防ぐのも友禅染の特徴で、この「糸目糊」を置くことで、各部分の間に白い線が残り、葉脈などの細部が見事に浮き上がる。さらに、木の葉が虫に食われた様子を描く「虫食い」も加賀友禅に特有のものだ。

しかし、加賀友禅における自然の影響は、模様だけに見られるわけではない。元々、自然の多彩な色の世界を作り出すために用いられた天然顔料も、加賀友禅に独特の特徴を与えている。加賀の伝統的な染色の技法は、後に友禅の技法と融合して加賀友禅となったが、本来は、梅の樹皮や柿渋を用いて、赤から茶色までのさまざまな色味を作り出していた。加賀友禅が革新的だった点の1つは、さらに5種類の天然顔料を取り入れたことだ。その5色とは、臙脂、藍、黄土、草、古代紫である。今日では、天然染料の代わりに化学染料が使われているが、これらの色が加賀友禅の染色の基本であることに変わりはなく、天然顔料の柔らかく、奥行きのある色合いは残されている。

毎田健治作、加賀友禅作品(写真:村上涼)

毎田健治作、加賀友禅作品(写真:村上涼)

金沢市の自然の多様性は、加賀友禅作家にとっては知識と刺激の宝庫だった。彼らは、生きとし生けるもの、ランドスケープ、自然のプロセスのひとつひとつの美しさに感動し、絹の上にそれらを模様として再現する方法を完成させ、そうした着物は家宝として大事にされた。加賀友禅において、芸術と工芸の境界は曖昧であり、美と実用性を兼ね備えた物を作るのに、おおいなる創造性が発揮されることもある。

金沢では今日でも着物姿の人々を街中で見かける。時折、長い着物の袖を華やかに揺らして通り過ぎる女性や、春の芽吹きを始めた木々の枝の下、渋い色合いの着物を着流して歩く男性を目にすることができる。

このページに掲載した映像はドキュメンタリー作品「金沢市の四季 人と自然の物語」の短縮版であり、記事はブックレット「金沢市の生物多様性」の抜粋です。いずれも国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット(UNU-IAS OUIK)の構想・計画・出資による生物多様性に関するマルチメディア・プロジェクトの一環であり、OUIK所長のあん・まくどなるど氏がコーディネーターを務めました。このプロジェクトはOUIKの最先端の研究をクリエイティブな方法で「披露し」、日本だけでなく世界中の研究者、学生、政策決定者、一般市民に分かりやすい形で、都市化と生物多様性の関係性の複雑な側面を探究する試みです。

翻訳:ユニカルインターナショナル

Creative Commons License
金沢の生物多様性:春に学ぶ教訓 by ラケル・ モレノ・ペナランダ is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.

著者

ラケル・モレノ・ペナランダ博士は国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニットのリサーチフェローである。主な研究領域は、都市と農村における持続可能性と幸福の関係に注目した、持続可能な自然資源の管理である。彼女はコンサルタント、アドバイザー、リサーチコーディネーターとして、地方自治体や国際的な環境NGOや市民社会組織や多国籍開発機関との多くの経験を持つ。母国スペインでは生物学で学位を修め、カリフォルニア大学バークレー校ではエネルギーと資源の博士号を修得した

ラウラ・ココラ氏は国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニットのプログラム・アソシエート。1998年から日本を活動拠点とし、上智大学でグローバル・スタディーズの修士号を修得。ココラ氏の関心領域は、社会・経済の維持可能な発展における社会の文化・環境的側面と、それらが担う役割の相互作用。

国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット所長。1980年代後半から日本の農山漁村のフィールド調査に携わる。