ブレンダン・バレット
ロイヤルメルボルン工科大学ブレンダン・バレットは、東京にある国連大学サステイナビリティ高等研究所の客員研究員であり、ロイヤルメルボルン工科大学 (RMIT) の特別研究員である。民間部門、大学・研究機関、国際機関での職歴がある。ウェブと情報テクノロジーを駆使し、環境と人間安全保障の問題に関する情報伝達や講義、また研究をおこなっている。RMITに加わる前は、国連機関である国連環境計画と国連大学で、約20年にわたり勤務した。
国際エネルギー機関を含む複数の団体が最近発表した、世界の石油産出量がピークに近づいたことに関する声明が正しいとすれば、日本はエネルギー安全保障の時限爆弾の上に座っていることになるかもしれない。
最も懸念されるのは、この時限爆弾は最短では2015年に、可能性として高いのは石油危機が起こると予測される2020年より前に爆発するかもしれないという点だ。2020年の石油危機を予測しているのはチャタムハウス(英国の王立国際問題研究所)や、ヴァージン航空、オヴ・アラップ・アンド・パートナーズなどが参加する企業グループUK Industry Taskforce on Peak Oil and Energy Security(ピークオイルとエネルギー安全保障に関する英国産業タスクフォース)、エネルギー研究センターなどだ。
こうした懸念が生じている理由はシンプルだ。経済開発協力機構(OECD)加盟国のエネルギー自給率は平均70%であるのに対し、日本の一次エネルギー自給率は原子力発電を含め18%なのだ。
ここで問題となるのが、日本の石油への強い依存傾向である。アンドリュー・デウィット氏と飯田哲也氏は最近発表した論文で次のように指摘している。
「日本は一次エネルギーの44%を石油に頼っている。さらに石油の90%以上を不安定な中東諸国から輸入している」
日本は石油を輸入するために毎年約16兆6000億円(およそ2000億米ドル)を支出している。この金額は日本の年間輸入総支出額の4分の1を占める。
このような立場は経済的に高くつくばかりか、脆弱でもある。もし石油の供給が突然切られたらどうなるだろうか。この現状を日本のリーダーや官僚は十分承知している。経済産業省による「2010年エネルギーに関する年次報告」では、中東やその他の石油産出地域からの石油のフローを阻害する「チョークポイント」について特に言及している。
チョークポイントとは海路上の戦略的な要所(例えばマラッカ海峡)のことで、地政学的な混乱時に輸送フローを妨げるためにブロックされやすい場所だ。
別の選択肢を考えた場合、もし適切な条件が整えば、ドイツやスウェーデンのように日本でも、もっと多くの再生可能エネルギー開発を行える可能性は大いにある。
「チョークポイント比率」というものを算出することが可能だ。チョークポイント比率が100であれば、石油の100%がチョークポイントを通過して国へ届くということだ。比率が100以上であれば、複数のチョークポイントを通過するということになる。日本のチョークポイント比率は171だが、ドイツやイギリスはそれぞれ、およそ5と3だ。
国が石油供給の脆弱性を補う場合、石油を備蓄することが多い。日本は129日分の備蓄を維持しているため、石油供給に大きな混乱が生じた場合、日本は通常どおりの状況下なら約5カ月間もつことができる(主要サービスだけを維持すれば、恐らくもっと長くもつだろう)。これは非常時の安全対策としてはむしろ頼りないもので、日本はエネルギー安全保障上の弱さに対して、どのような短期的および長期的対策を講じているかという点が問題となる。
2009年に私たちが経済産業省の官僚たちと話した時には、日本の将来的なエネルギー政策が向かう方向性は変化しつつあるようだったし、再生可能エネルギー(特に太陽光発電)へのサポートは、特に国の刺激策を通じて増えているようだった。
その時から現在に至るまでの間に、どうやら大きな変化があったようだ。その変化の説明としてデウィット氏と飯田氏は、原子力を推進するロビー活動が日本の政治家や官僚というエリートたちに再び影響を及ぼし、今では原子力発電が「化石燃料への依存を低減し、(温室効果ガス)排出量を削減する唯一の現実的な選択肢」であり「主要な輸出ビジネス」として見られているのだと主張している。
2010年6月に経済産業省が発表した「新たなエネルギー基本計画」では、新たな原子力発電所を2020年までに9基、2030年までに14基以上増設することを目標に掲げている。
この計画は、日本の消費エネルギーを省エネ対策を通じて2030年までに大幅に低減することを構想している。下記の図表が示すように、原子力発電は現在、一次エネルギーの10%を占めているが、2030年には24%に増大している。再生可能エネルギーの割合も現在の6%から13%に増えると推定されている。
これらの計画は多くの推測に基づいている。まず、日本の人口は減少する一方、世帯数はわずかに増加すると推測されている。その結果、住居部門ではよりよいエネルギー効率が必要となり、それが結果的にCO2排出量削減というメリットも生む。この計画は電化製品の効率性における革命のようなものを構想しているのだ。
さらに同計画では、原子力も再生可能エネルギーもゼロエミッション電源として表現されている。しかしライフサイクルの観点から見れば、どちらも二酸化炭素の排出量が完全にゼロとは言えないと異議を唱える者もいるだろう。
日本は現在、原子力によるエネルギー生産量の世界ランキングでフランス、アメリカに次いで第3位であり、最新の「新たなエネルギー基本計画」で示された方向性は基本的にフランスをモデルにしている。なぜならフランスは日本と同様に、国内に(石炭以外の)化石燃料資源を持たない国だからだ。
日本の「エネルギー白書2010」は、フランス・モデルの重要な利点について特筆している。それはフランス電力公社(EDF)やトタル社のような強力なエネルギー供給企業、独占的なエネルギー部門、垂直統合的な国営企業だ。
フランスの状況は、電気公益事業10社が地域ベースでの独占体制を維持する日本の状況に酷似している。デウィット氏と飯田氏によれば、それらの企業は「競合企業に対する優越性や、原子力発電を拡大しようとする自らの計画を脅かしかねない代替エネルギーに対する優越性を守りたい」のだという。
多くの点で、日本のエネルギーの将来を考えた場合、原子力は誤った方向だと言えるかもしれない。そう主張することは、原子力発電のメリットそのものに異議を唱えるということではなく、再生可能エネルギーを含む他の選択肢よりも原子力に重点を置くことへの懸念を表現するということだ。日本のアプローチは諸外国での実績とは相反するものだし、20~40年の間に世界の電気は代替エネルギーで供給できるようになることを示す最近の研究結果にも反する。では、日本はなぜ原子力を選ぶのか。
歴史的な観点から言えば、日本は国内では化石燃料を入手できず、また原子力部門で優れた産業技術を培ってきたため、明らかに原子力という選択は理にかなっている。日本にとって原子力は「従来どおりの」選択肢であり、それを選べば、ハイテクを駆使した産業システムの維持を保証できるような、協調的で中央集権的で独占的なエネルギーシステムを確実にすることができる。東京(そのエネルギー自給率は1%)のような巨大な密集都市を維持しようと考えた場合、原子力は納得のいく選択かもしれない。
もし未来が過去と同じ状況だと結論づけるなら、原子力は正しい選択のように見えるだろう。しかし、日本国内のあまり都市化されていない地域についても考慮に入れた場合、原子力はそこまで魅力的とは言えない。
確かに、日本の選び抜かれた精鋭である官僚なら「ええ、間違いなく原子力が正しい選択です」と言うだろう。しかしここで問題となるのが、政策に情報を送り込む独立系シンクタンク(すなわち政府が直接的に設立したり関連したりしていないシンクタンク)の不在だ。だから日本のエネルギー政策作りには別の選択肢を検討する姿勢がなく、それがピークオイルがいまだに政策議論の俎上に乗らない原因かもしれないのだ。
原子力に関連したもう1つの大きな課題として、安全性とリスクの問題がある。私たちが先日の記事でも触れたように、特に日本のように地震の起きやすい国では懸念される問題であり、放射性廃棄物の処理に関連した問題でもある。
別の選択肢を考えた場合、もし適切な条件が整えば、ドイツやスウェーデンのように日本でも、もっと多くの再生可能エネルギー開発を行える可能性は大いにある。
例えば、日本の独立系シンクタンク諸団体が2010年に発表した初めての「自然エネルギー白書」は、2050年までに日本国内のエネルギー需要のうち67%を再生可能エネルギーで供給可能になるとしている。こうした観点は国レベルでのエネルギー政策立案者たちにはほとんど顧みられてこなかった。
上記の予測は楽観的かもしれないし、再生可能エネルギーにも非常に大きな限界があると主張する者もいるかもしれない。しかし、日本で再生可能エネルギーが広範囲に広まれば、供給の多様化と発電の分散化を図ることでエネルギー安全保障の脆弱性を改善できる。その結果、地域コミュニティーが地元の電力をどう生み出すべきか発言権を持てるようになり、その過程で革新を行えるようになる。こういったアプローチは日本のエネルギー部門の仕組みにおいてラディカルで先見の明のある変化をもたらすだろう。なぜなら、こういった転換は歴史的に、エネルギー施設への国の投資をどうすべきか決定する人々にとって好ましいものではなさそうだからだ。
ピークオイルの観点から、例えばロブ・ホプキンス氏やジョン・ローリンズ氏のような評論家たちは原子力は正しい進路ではないかもしれないと憂慮している。彼らはウランの入手可能性を懸念し、ウランは将来的に入手困難になるだろうと予測しているため、原子力は将来長く持続していける方法というよりは「応急処置的な」解決策だと示唆している。
また、エネルギー供給が全体的に減退していく世界では原子力がどうなっていくのかという点も懸念される。例えばホプキンス氏は次のように記している。
「原子力は今までずっと、未来の世代は私たちよりも放射性廃棄物を上手に処理できるという発想の上に成り立ってきた。つまり、未来になれば人々は放射性廃棄物を安全なものにする方法をすでに発見しているのだから、私たちはある種の頭脳パズルを託すように、放射性廃棄物をそのままにしておいても大丈夫なのだという論理である」
放射性廃棄物の処理のように複雑な問題を解決しているのは、エネルギーを大量に消費する産業界である。だからこそエネルギー不足の状況になった場合にエネルギー部門の脆弱性が高まるのだ。ホプキンス氏は次のように懸念を示している。
「未来の世代には、今までの私たちのように、化石燃料を浪費するという危うい贅沢は許されていないのだ」
ここで指摘すべき重要な点は、原子力発電所の設計、建設、操業には何十年という時間と、非常に多くのエネルギーが必要だということで、日本も、そして他のどの国も、時間との競争を余儀なくされているのかもしれない。なぜならピークオイル以降の石油減耗率が、石油に代わる選択肢をどのくらい早急に見つけるべきかを決定する重要な要素だからだ。
原子力を推進すれば、日本のエネルギー生産に必要な石油は確かに少なくて済むようになる。生産されたエネルギーは例えば交通部門で使用されるだろう。しかし、それもまた時間との競争である。「2010年エネルギーに関する年次報告」では、次世代自動車(ハイブリッドと電気)が新車販売台数に占める割合を2030年までに現在の10%から70%に増やすことを目標にしている。この目標は、2030年の日本でもガソリン車がかなりの割合を占めることを示唆している。理想を言えば、大きな混乱を避けるためには100%に近い乗用車が2030年までに電気自動車であるべきだが、現行の政策の枠組みでは実現しそうにない。
つまり、原子力を強く推し進めるという日本の方向性は、あまりに多くの卵を1つのカゴに入れてしまうやり方だと言っても過言ではないだろう。そのアプローチの裏にある根拠は理解しやすい。すなわち、従来どおりのやり方は徹底的な改革より簡単だし、画一的で中央集権的な構造を維持することは、東京やその他の都市部による統制が緩くなるのが当然という地方分散的な構造よりも簡単だからだ。
とはいえ、「新たなエネルギー基本計画」の背後にいる人々に性急な判断を下すのはしばらく控えておこう。同計画は3年ごとの見直しと必要に応じた改訂をすることになっている。したがって私たちは次の見直しが行われる2013年まで待たなくてはならない。その時までには、私たちの誰もが自分たちのエネルギーの窮地に関して今よりも高い意識を持っているかもしれない。
さしあたり、次の基本的な疑問は未解決のままである。原子力発電はピークオイルのもたらす最悪の影響から本当に日本を救ってくれるのだろうか?あなたのご意見は?
翻訳:髙﨑文子
原子力発電はピークオイルから日本を救えるか? by ブレンダン・バレット is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.