ユキヒョウの住む山へ

dOur World2.0のキット・ウィリアムズが、ロシア連邦アルタイ共和国のアルグト自然公園とシャヴラ野生動物保護区を訪れた体験をご報告します。そこで目の当たりにしたのは、絶滅の危機に瀕するユキヒョウの苦境と、困難に苦しむ羊飼いたちの姿でした。

私を乗せたアルタイ・マウンテンポニーが、ぐらつく岩につまずいた。ゆるんだ頁岩(けつがん)が崖の縁から滑り落ち、遥か下に横たわる凍りついたアルグト川をめがけてはずむように落ちていった。私は息をのんだ。地元先住民のアルタイ人ガイド、Aduchyさんが鞍上から振り向き、同行者の数を確認した。そして、私に向かって体を前に傾けるよう身振りで示した。吹きすさぶシベリアの風の中、通訳のIrenaさんが声を張り上げ、きついロシア語訛りで訳してくれた。「前かがみになって、馬が道を登るのに協力してあげて下さい」

アルグト渓谷、シャヴラ野生動物保護区の険しい山麓は、今日はまるでオオカミの毛皮のように見える。人里離れた渓谷の足場の悪い通路沿いには、太古の高山林や岩だらけの草地が、溶けかけた雪の下に眠っている。

国際自然保護連合(IUCN)によると、2つの特殊な要因が、この地域に固有の豊かな生物多様性を育んでいるという。まず、この地域は、山腹を上がるにつれて気候帯が様々に変化するというような条件を持つ。また、この地域が隔絶した環境にあることで、隔離された場所の中で様々な種の個体群が独自の進化を遂げることができる。

その結果生まれてきた動植物の価値は、それにふさわしい認定を受けている。ゴルノ・アルタイスク(アルタイ共和国の首都)博物館に誇らしげに展示された、国連教育科学文化機関(UNESCO)の証明書には、「世界遺産委員会は、アルタイのゴールデン・マウンテンを世界遺産リストに登録しています」と記されている。

2003年、アルグト渓谷は、国境を越えてカザフスタン、中国、ロシア、モンゴルにまたがる近隣の地域と共に――これらの地域はまとめてアルタイ・サヤン・エコリージョンと呼ばれる――国連ミレニアム生態系評価(MEA)の対象地域に選ばれた。中央シベリアの中でも、この地域は、高度による植生帯の連続のもっとも完全な例であることから、世界自然保護基金(WWF)のglobal priority ecosystem(グローバル・プリオリティ生態系)の1つともされている。3,726種の公認された植物(12%は固有種であり、そのうち700種が絶滅の危機に瀕しているか希少な種である)と、680種の動物のふるさとであるアルタイ・サヤンは、明らかに生物多様性の宝庫である。

この辺りに生息するユキヒョウの個体数はロシア最大だが、それでもその数はおよそ30頭から40頭に過ぎない。ユキヒョウはひじょうに希少で、Aduchyさんですら一度も目にしたことはない。

間もなく、草地はかぐわしく緑に萌え、アルタイ・サヤン最大の個体数を誇るアイベックス(野生のヤギの一種)は、新芽を食べて肥え始めることだろう。この谷の豊かさをよく知っていたAduchyさんのチュルク系の祖先は、谷の壁面に残した岩絵によって、今も子孫たちにそのことを伝えている。

私たちは馬を進め、食物連鎖のさらに上位に位置する動物のあとを追った。ここには険しい峰がそびえ、絶滅危惧種のユキヒョウを守っている。この辺りに生息するユキヒョウの個体数はロシア最大だが、それでもその数はおよそ30頭から40頭に過ぎない。ユキヒョウはひじょうに希少で、Aduchyさんですら一度も目にしたことはない。

ロシアのユキヒョウは全部で150頭から200頭、世界には推計で4,080頭から6,590頭のユキヒョウがいる。これを考えれば、アルグト渓谷はしっかりと組織された保護区でなければならない。しかし悲しいことに、私が見た現実は違っていた。

アルタイの人々の挑戦

シルクロードの北の交差路の1つに住むアルタイの人々は、数千年もの間、この地を通り過ぎる豊富な交易品や様々な文化の恩恵を受けてきた。また山々は、野生のハチミツや薬草、貴金属、質の高い馬、そして希少な毛皮などの恵みをもたらした(現在もそれは続いている)。

しかし現在では、個体数が減っているにも関わらず、野生動物の肉や、ユキヒョウの毛皮や体の一部が、いまだに中央アジアや内陸アジアの闇市で見つかっている。最近では、今年の4月に、人里離れたモンゴルと中国の国境地帯で、売人たちからユキヒョウの毛皮が押収された

アルタイの羊飼いの稼ぎは、平均でひと月に約1,600~3,100ルーブル(50~100米ドル)。アルタイ共和国の失業率は平均でおよそ40%だ。しかし、Aduchyさんの住むイネゲニ村のような僻地の村の中には、非公式な値だが、失業率が70%にまでのぼるところもある。

イネゲニ村で雑貨店を営むOlga Todukovaさんは、店が赤字になることも多いという。村人には主として掛けで品物を売る義務があるからだ。パン1つの値段が13ルーブル(0. 42ドル)、米1キロで30ルーブル(1ドル)、そしてソーセージやバターのような贅沢品は、1キロ150ルーブル(4.85ドル)にまでのぼる。

Aduchyさんのような羊飼いが、家畜の肉を家庭用として1キロあたり8ルーブル(0.20ドル)で売ることができたとしても、それで一家族の衣服住をまかなうのは非常に難しい

このような状況なので、Aduchyさんのような羊飼いが、家畜の肉を家庭用として1キロあたり8ルーブル(0.20ドル)で売ることができたとしても、それで一家族の衣服住をまかなうのは非常に難しい。アルタイの羊飼いの多くは、家族の食べる肉を野生動物の肉で補う以外に選択の余地がないのだ。

ロシア人による植民地化、続くソビエト化、その後にやってきた自由市場経済によって、伝統的な土地の使い方は大きく変化し、また、遊牧生活を捨てたことによって、アルタイの先住民の生活や文化も変わってしまった。

WWFとMEAの報告では、貧困、広がる失業、代わりとなる経済活動の不足により、地元の人々の多くが、やむを得ず、密猟や樹木の伐採を行ったり、森林から材木以外の産物を採集したりするようになっているということだ。小規模な密猟によって、動植物の生息環境は、すでに悪化したり崩壊したりしている。地元の管理やコントロールシステムが弱いということは、つまり、このような加速する脅威が、野放しのままにされているということだ。

もう1つ、深刻化している問題がある。観光事業が野放しにされていることだ。最近、レクリエーションの場としてのアルタイ・サヤンの価値が、多くのロシア人観光客によって再発見されおり、短い夏の間にこの地を訪れる旅行者の数は、近年、劇的に増加している。

Aduchyさんは、2003年に地元主導で設立されたアルグト自然公園と、その中に手作りのベンチャー事業として立ち上げたエコツーリズム、Irbis(アルタイ語で「ユキヒョウ」)エコツアーが、地元文化における重要な一歩だと説明する。Aduchyさんとイネゲニ村の人々は、生物多様性の宝庫であるこの地域を保護する役目と権利のために戦っている。WWFや国連開発計画(UNDP)による訓練を熱心に受け、生物多様性についての知識や、ガイドとしての技術、そして団体での探検旅行に関する技術を身につけている最中だ。彼らは、コミュニティ独自の文化的慣習や基盤を維持しながら、同時に持続するエコツーリズム事業を作り出す方法を、学んでいる。

ユキヒョウのエコツアーは、昨年の立ち上げの時におよそ30人の観光客を迎えた。

Irbisエコツアーは、昨年の立ち上げの時におよそ30人の観光客を迎えた。メンバーの悩みは、観光客用のメインロードから22キロも離れているために、客の数があまり増えないことだ。そして、自然公園の本部で電話応対ができないことが、これに拍車をかけている。オリガの夫でIrbisエコツアーのディレクターであるSlava Todukovさんは、定期的に近くの山に登り、携帯電話のメッセージを確認したり、予約事務所に電話をしたりと、一生懸命だ。イネゲニ村の場所自体は、主要な高速道路から離れたところにあり、カトゥニ川にかかる一方通行のつり橋を渡るか、馬の背に乗って山道を通ってくるかしないと、辿りつくことができない。自然公園がこのように辺鄙なところにあるため、まだ外(そと)の人をたくさん惹きつけていないのだ、とSlavaさんはいう。

転ばぬ先の杖

昨年の夏、私はこのアルグト自然公園の話を聞き、自然が大きな変化を見せる初春の頃に自分自身でこの公園を見に行こう、と決めたのだった。にわか雪が舞う中、私は持ち合わせの服を一枚残らず着込み、Aduchyさんや通訳のIrenaさんと共に出発した。馬たちは、8時間ものあいだ私たちを乗せ、確かな足取りで岩棚を回り、森の木立を抜け、凍結して滑りやすくなった川の上を渡っていった。零下40度になる冬のあいだに家畜の群れをこの場所に連れてくるアルタイの人々は、実にたくましい。東京のアパートにある暖房のきいた私の小さな部屋は、遠い夢だった。

さて、馬も人もみな凍え、疲れ果てて、アルグト)にある羊飼いの冬のキャンプに辿りついたが、そこにあったのは、火の気ない炉と割られた薪、そして錆びついたぼろぼろのストーブだった。私たちは、零下15度の寒さの中、手袋をはめた手で風と戦い、小さなテントを組み立てた。Aduchyさんの説明では、以前ここには羊飼いの小屋があったが、ヘリコプターでやって来る金持ちの密猟者たちが、最近、焼き払ってしまったのだという。「私たちを脅そうとしたんですよ。ここから出ていけ、とね」

ニュースによると、政府の高官が、密猟を楽しむためにこの地域をヘリコプターで飛んでいたのだという(レーダーに触れないよう、300メートル以下を飛行していたそうだ)。

国際レベルで野生生物の保護に取り組んでいるにも関わらず、密猟はやまない。2009年1月上旬、アルタイ山脈で起こったヘリコプターの墜落死傷事故が携帯電話のカメラに捉えられ、後にロシア全土と海外でテレビ放映された。写真や目撃証言を交えたニュースによると、政府の高官が、密猟を楽しむためにこの地域をヘリコプターで飛んでいたのだという(レーダーに触れないよう、300メートル以下を飛行していたそうだ)。ロシア政府による調査が開始されたが、政府高官がこの事故で死亡したために、すぐに終了した。事件はAltaigate(アルタイゲート)と呼ばれ、多くの論争を巻き起こした。

しかし、ヘリコプターはいまだにやって来ている、とAduchyさんはいう。彼の推計によると、遊びのための密猟がやまないため、アルグト川流域に住む3,500~3,700頭の野生のヤギ(ユキヒョウの主な獲物)が、劇的に減少している。ソビエト体制が崩壊してから、ヤギの個体数は目に見えて減っている、とSlavaもいう。「10年前に比べて、動物の数はとても少なくなりました……以前はどこでも見かけることができたのに」

このような懸念が引き金となって、UNDP/ Global Environment Fund (UNDPと地球環境基金)によるプロジェクトが、近隣にあるもう1つの自然公園で、衛星による密猟防止システムの試験を行い、成功させた。道沿いや、丸太小屋など密猟者が使う場所の中に仕掛けられた探知機は、無断侵入があると警告を送信し、それを公園のディレクターが衛星電話で受信する。また、レンジャーパトロール隊(もしくはAduchyさんのような承認を受けた羊飼い)は、衛星電話を使って公園管理局や警察、救急隊と連絡を取ることができる。

焚き火の周りで私のデジタルカメラをいじっていたAduchyさんは、自然保護のためなら、どんなテクノロジーでも歓迎する、といった。ビデオ映像を作るのはどうか、と尋ねると、彼はこう打ち明けた。「ヘリコプターのことで短いものを作りたいですね」

そして付け加えた。「でも、GPSカメラの付いた衛星電話がほしいです。そうすれば、望遠で写真を取るか、できればヘリコプターのパイロットの顔をビデオに撮って、すぐに公園事務所でアップロードして、当局に密猟を止めてもらうことができますから」

残念なことに、最大の問題の1つとして挙げられるのが、地元当局が、これまでのところまだ、公園の運営管理を充分にサポートしていないことだ。

キャリアとしての自然保護

羊毛とオオカミの毛皮にくるまり、星空のもとで冷え込む一夜を明かしたあと、私たちはShi-be(古いモンゴル語で「城」という意味)と呼ばれる近くの高い尾根に登った。双眼鏡を覗きながら、Aduchyさんは誇らしげに、ある台地を指し示した。そこは、彼の祖先が埋葬され、永遠の眠りについている場所だった。Aduchyさんの話は、まるで取りつかれたかのように熱を帯び、生き生きとしてきた。

「あの深い谷が見えますか? 一番険しくて、一番近づくのが難しい場所です。ボウルのような形をしているでしょう。あそこには偉大な伝説があるんです。あの谷はArk-yut(アルタイ語で「乳でできたものを入れるボウル」または「器(うつわ)」)と呼ばれています。昔、あのボウルがひっくり返って、乳が全て流れ出てしまったのです……見て下さい。流れ出た乳が、川になったのですよ」

私はしばし立ち止まり、聞いたばかりの古来の物語に思いを巡らせた。多様な生物を抱える聖なる谷……希少なヒョウのために、濃厚な乳をたたえたボウル。

この地域の生物保護への取り組みは、Aduchyさんのような羊飼いにまで及んでいる。Aduchyさんたちは、鋭い観察の目と環境についての伝統的知識を鍛えながら、自然公園のスタッフや、現場から遠く離れた世界中の専門家が、特定の環境変化について常に最新の情報を得ることができるよう、すでに最善を尽くして働いている。

羊飼いと野生動物の研究者からなる専門家チームは、アルグト渓谷ではおよそ4頭から5頭のユキヒョウが生息すると推測している。

2007年、Aduchyさんは、アルグト渓谷をくまなく調べるという困難な科学調査に参加し、ユキヒョウの個体群について情報収集を行った。Aduchyさんたちアルグト渓谷の羊飼いは、組織的に散らばり、自らの足で山地を登ったり探し回ったりしながら、「馬には危険すぎる」険しい地域を巡り歩いた。そして、足跡や排泄物など、ユキヒョウ固有の手掛かりを探し当て、記録した。データが集められると、羊飼いと野生動物の研究者からなる専門家チームは、アルグト渓谷ではおよそ4頭から5頭のユキヒョウが生息すると推測している。このユキヒョウたちは、定期的に、南西部の山脈にある50~60キロのbio-corridor(生態コリドー)を渡り、カザフスタン領アルタイへと移動する。

[好奇心旺盛な謎のヒョウの姿を、特別なカメラで捉えました。こちらの snowleopardconservation.org.videoから覧ください。]

変化

しかし、アルタイの動植物に影響を与える脅威は、密猟者や、生息環地をめぐる競争、食料の確保、政府の支援不足だけではない。地球温暖化によって引き起こされた不安定な気候システムが、高山の生態系に大きな被害をもたらし始めているのだ。

まもなく公表されるUNESCOの地域報告では、近くの高山にあるロシアの気象観測所が、ここ50年に冬季で約2度、夏季では約0.5度、気温が上昇したと記録していることが示されている。計器による測定が始まった1870年から、アルタイの氷河は、小さいもので20~40%、谷間にある大きなもので8~20%減少している。

将来的な予想では、気候状況の変化は、2090年までに、高木限界線が約50~100m、高亜山性の低木が100~200m上方へ移動することで、もっとも明らかになるという。

さらに、ユキヒョウのような種は、冬の悪環境(おそらくは降雪量の増加)の影響を受け、季節ごとの移動が大規模で消耗の激しいものにならざるをえないだろうとしている。また、夏の乾燥期が深刻化し、ユキヒョウの主な食料源である野生のヤギは、より標高の高い場所で放牧されるようになった家畜たちと、直接競争することになるだろう。

Aduchyさんのような地元の人々は、このような最近の科学的な研究結果と同じようなことを口にしている。冬の降雪量の多さ、春に降る季節外れの雪、乾燥の激しい夏、そして不安定な気候と川の水位の変動について、苦情を訴えているのだ。

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現地のデータやモデリングを集め、さらなる統合を図ることが必要とされる一方で、報告では、適応戦略として、人々の意識向上、「地球温暖化」問題やその兆候を地元で監視すること、密猟監視活動の規模拡大、代替エネルギーの実証プロジェクト、持続可能な観光業、そして、環境による影響を受けやすいコミュニティの多角化などがあげられるとしている。

もっとも大がかりな構想が、将来を見通したAltai-Sayan Connectivity Corridor(アルタイ・サヤン連絡コリドー)の創設だ。ロシア、中国、モンゴル、カザフスタンの協力によるこの計画が目指すのは、「Altai-Sayan(アルタイ・サヤン)の自然遺産および文化遺産が、損なわれないままで相互に連絡しあっている状態をつねに保ち、同時に、この地に古くから住む人々を養い、その文化的な遺産を育むよう確実にする」ことだ。すでにロシア領アルタイでは、隣り合う保護区をまとめてコリドーを作り始めている。最近では、2010年2月下旬に、ロシア連邦政府がアルグト川流域の8万ヘクタールに及ぶ地域を1つにまとめ、Sailugemsky国立公園を設立した。

今年の7月には、国境を越えてパートナーとなった国々の間での定期会議が、イネゲニ村近くの小さな村で開催される予定となっている

一方、現在では、3つの家族がアルグト渓谷で行われる冬のキャンプの運営に携わっている。彼らは、夏のあいだは、ウシやヤギを高い場所へ連れて行って放牧したり、近くのベルーハ山自然公園にあるロシアの観光事業で働いたりしている。

古来からの自分たちの土地もまた、国立公園へと変わったことを受け、地元アルタイの人々は、村の近くに土地を借り、観光客向けのail(伝統的な家)を建てたり、地元の植物園の協力を得て、在来種の栽培地を作ったり、ロシアの伝統的なサウナ小屋、バーニャのための建材を確保したりしている。高速道路に、看板を1枚設置することさえした。

もし、このベンチャーで充分に利益を上げることができたら、もしくは村人たちが国際的な支援をもっと得ることができたら、アルグト渓谷ユキヒョウ博物館を建設し、そしてできれば、川の上流に彼らの冬のキャンプハウスを建て直そうと計画している、とSlavaさんはいう。

この夏、状況が少しでも良い方向へ変わることを願う。

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雄大なアルグト渓谷や、Altai-Sayan Ecoregion(アルタイ・サヤン・エコリージョン)における生物多様性の保護、そしてユキヒョウに関するプロジェクトについて、さらに情報をお望みの方、また、ユキヒョウの隠れ住む山への騎馬冒険旅行を計画して、地域主導のこのプロジェクトを支えたいという方は、Foundation for Sustainable Development of Altai(アルタイ持続可能な開発基金)のChagat Almasheve、またはUNDPのMikhail Paltsynまでご連絡ください。

スライドショーで使われた音楽:「My motherland(母なる国)」 Emil Terkishev,Rudmilla Terkishev

翻訳:山根麻子

Creative Commons License
ユキヒョウの住む山へ by キット・ウィリアムズ is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.

著者

キット・ウィリアムズは情熱的で革新的な映像作家。手がけた映画カンヌ、サンダンス、シドニーそしてムンバイで上映された経験を持つ。