持続可能性、公平、健康のために、道路至上主義から脱却を

都市に住み人々は、道路のない生活を想像できないだろう。道路は仕事や学校、食料、娯楽へのアクセスを提供する。また経済に欠かせないサポートをするだけでなく、地域社会の日常的な習慣とニーズをつなぐ役割も果たしている。そのため、道路が機能しなくなり、交通が渋滞して日常生活に支障をきたす場合には、新たな道路の建設が重要な解決策となる。道路が渋滞するのであれば、もっと道路をつくればよいというのが、一般的な考え方だ。

最近の『マレーメール』紙の論説記事「実現可能な道路交通基本計画には効率的な道路網が必要」は、ペナン州の交通基本計画における利益の大げさな宣伝や、道路を作れば車も増えるかどうかについて疑問視している。自由な議論は社会が機能するために不可欠であり、また、道路とインフラの合理的な整備の根拠となる有効な理由も多くある。それでも、厳しい現実が突きつけられている現代社会で、道路整備によって問題はほとんど解決しないということが、既に何度も証明されている事実から目を背けてはならない。

第1に、道路の数を増やせば車も増えるという事実は、少なくとも1930年から指摘されている。全世界の都市では、同様の現象が何百回も見られており、研究者や都市計画立案者、交通専門技術者、自動車メーカーの間では、もはや常識として確立されている。

道路網の拡張による一時的な交通渋滞の緩和、また移動時間の短縮は間違いない。しかし、これはマイカーによる移動を促す誘因となり、やがて交通渋滞が再び発生するようになる。特に、郊外と市街地を結ぶ新たな道が整備されると、人々はさらに安く、都市部の職場から遠い住宅を選ぼうとするため、移動距離も長くなる。

その結果として生じる都市の拡大化は、公共交通が存続する可能性を減らしてしまう。公共交通は、よりコンパクトで密集している環境で最も高い効果を発揮するからだ。そしてこれが、車への依存と道路に対する需要をさらに高めるという悪循環をもたらす。カーシェアリングでさえも解決策にはならない。マイカー運転の短縮分1キロメートル当たり2.6キロメートルの運転距離増が生じるためだ。

第2に、この交通渋滞と道路整備の悪循環は、マイカーを持てない人々に特に大きな負担をかけ、社会的平等を大きく損なう。マイカーを持てなければ、サービスや教育、仕事にアクセスするための移動時間が長くなるためだ。中には、より安価なオートバイに乗り換えて、ニーズを満たそうとする人もいるが、これにより交通事故のリスクと重度が高まる。社会的弱者が取り残され、誰にとっても移動はさらに危険となる。

第3に、マイカーのニーズを中心に都市を設計し、道幅を広げ、交通障害物を排除すれば、歩行者や自転車利用者、公共交通利用者の移動が不便になる。都市を徒歩で移動することが難しくなっているという意見には、ほとんどのマレーシア人が同意するだろう。横断歩道よりも歩行者障害のほうが多かったり、車が歩道に停めてあったり、交通渋滞が恒常化しているからだ。

第4に、車への依存度の高まりは、都市住民の健康に影響する。交通は都市部における大気汚染の大きな原因として、呼吸器・循環器疾患やその他の非感染性疾病(NCD)のリスクを高める。車による移動の距離と時間が長くなれば、事故やストレス、ストレス性疾患も増える。マイカー以外に移動手段がなくなれば、運動量も一気に減少する。マレーシアの肥満率が51.2%と、東南アジアで最悪となっている一因はここにある。NCDの増大は、マレーシアにとって大きな経済的コストとなっており、糖尿病の直接的医療費だけでも、2011年には20億リンギットに達している。

最後に、道路中心型の交通網は、私たちの考え方にも影響している。「実現可能な交通基本計画には効率的な道路網が必要」でも指摘されているとおり、道路はマイカーの利用を助長する唯一の誘因ではない。車の使用は「制度、社会、経済、政治、個人による要因が相まって」生じるためだ。それでも、道路インフラを優先させる決定は、これらの要因の誘発と影響のループを作り出す。車の利用が社会の仕組みに根づくと、政治、また日常生活においても、その他の交通手段の可能性が見えなくなる。それにより生じる社会的不平等と健康への影響を、健全な経済の必要経費として受け入れてしまう。しかし、全世界のエビデンスを見ると、これがまったくの誤りであると分かる。

今後の道のり

ウィーンやソウル、チューリヒ、パリなどの住みやすい街には、徒歩や自転車、公共交通を利用できる機会が豊富にある。これらの都市は、単に生活と仕事という点で魅力的なだけでなく経済的にも繁栄しているが、その理由の1つは、モビリティ(移動性)に対する統合的なアプローチにある。全世界の先進的な都市は、こうした事例にならい、持続可能なまちづくりを進めている。マイカーに代わる交通手段を重視し、健康と持続可能性に向かって道を開いている。

こうしたモデルを追求する場合、既存の都市環境に交通手段の代替オプションを加えるだけでは不十分だ。無秩序に広がった道路網の拡張も止めなければならない。その代わりに、道路をはじめとする都市計画策定の全側面を全体論的に統合し、モビリティにおける代替オプションを作るべきだ。そうでもしなければ、人々の日常生活と福祉の改善や、マレーシア国民が望む都市の構築もできない。

都市部の混雑と経済成長の問題に対する安易な答えとして、道路を無条件で受け入れる限り、長期的な土地利用や社会的公平性、そして、自分たちが作り出しているモビリティの問題をないがしろにすることになる。ペナン州をはじめ、マレーシア全土で持続可能かつ公平で健全な都市をつくるためには、道路を唯一の解決策とすることを止めねばならない。道路は都市住民の生活を改善できる多くのツールの1つにすぎないからだ。この道路というツールは慎重に検討、利用する必要がある。

著者

ホセ・シーリは、国連大学グローバルヘルス研究所(UNU-IIGH)の研究員。疫学者として、感染症の伝染、システム思考、グローバル都市衛生を中心に研究している。

ファティマ・ガーニは、国連大学グローバルヘルス研究所(UNU-IIGH)のポスドク研究員。博士課程で行った社会疫学に関する研究では、HABITAT(多くの段階において時間の経過とともに変化する様子を研究する経時的研究)で得られたデータを用いて、近隣地域での徒歩移動におけるジェンダーや年齢による不平等を緩和するために必要な、社会的・物理的変革を明らかにした。ガーニの研究は、健全で住みやすいコミュニティに関する研究高等研究センターによるさらに幅広い取り組みの一環として実施されており、オーストラリアの医療研究会議と保健医療研究評議会からの資金供与により、活動的な暮らしと高齢化コミュニティを支援する生態学的対策の参考にもなっている。