日本の食料の未来

2012年03月07日 ブレンダン・バレット ロイヤルメルボルン工科大学

食事は文化だ。特に日本のように食べ物への執着の強い国では、なおさらである。日本食は自然環境や地域の多様性を独特な形で反映し、底力を持つ日本の価値体系を映し出している。

あなたが日本食でお気に入りの10皿を挙げるとしたら、何を選ぶだろうか。恐らくスシと刺身はランクインするだろう。また、天ぷら、すき焼き、しゃぶしゃぶ、鉄板焼きもリストに入れたいかもしれない。

日本食のメインコースには、ご飯と野菜の漬け物が付き物である。みそ汁のない和食は、和食とは言えない。そして、うどん、そうめん、そば、さらに人気の高いラーメンといった麺類もある。食事と一緒に、日本酒はいかがだろうか。甘口も辛口も、冷酒もお燗もお勧めだ。季節の果物、例えば柿や桃、あるいはあのすばらしい奇跡のリンゴもお勧めしたい。そして食後には、伝統的な和菓子と共に日本茶を味わう。

日本食の中でも特に、魚、野菜、発酵食品、米といった伝統的な和食の特徴は、健康的な特質と全体的な質の高さだ。日本の大都市ならどこでも、デパートの地下(いわゆるデパ地下)に行けば、そこは驚くほどバラエティーに富んだ新鮮で健康そうな食品であふれるマーケットだ。あまりに様々な食品があるため、日本の買い物客は何を選ぶべきか悩んでしまう。

しかし日本食の未来は不明瞭だ。ステーキとハンバーガーに代表される西洋的な食習慣への転換は確かに重要な要因ではあるが、問題はそれだけではない。日本の未来の食料供給が直面する課題は複雑であり、手に負えないように思える。

日本食はもはや日本産ではない

日本政府が非常に注目している問題(フード・アクション・ニッポン事業のテーマでもある)に、消費カロリーに基づく日本の食料自給率が2010年時点でわずか39%だという事実がある。消費カロリーの残りの61%は、輸入食料から摂取されている。一方、他の国のカロリーに基づく食料自給率は、2007年時点で、オーストラリアが173%、カナダは168%、アメリカ(US)は124%だった。(農林水産省によるデータをご覧ください)

消費者のし好の変化と共に、伝統的には和食と見なされない食べ物(例えばパスタや、パンに使われる小麦)への需要が増えたことで、日本の農業の置かれた苦しい状況は食料問題を悪化させる主な要因の1つである。

こうした数字の意味を探るために、2008年、読売新聞の記者は国民1人当たりの1日平均摂取カロリーである2548キロカロリーの約40%で生活してみた。彼は2日間にわたり、1日わずか996キロカロリーの食事しか取らなかった。つまり、日本の食料輸入が完全にストップし、国内で手に入るものだけに頼らざるを得なくなった状況を体験したのだ。

この実験には一部から批判が寄せられたが、実験から得られる教訓は単純明快だ。すなわち現代の健康的な日本食は、海外から大量の食料を輸入しなければ維持できないということだ。政府は対応策として、2020年までに国内の食料自給率を50%に増やそうとしている。しかしこれまでのところ、食料自給率が41%だった2008年よりも状況は悪化している。

消費者のし好の変化と共に、伝統的には和食と見なされない食べ物(例えばパスタや、パンに使われる小麦)への需要が増えたことで、日本の農業の置かれた苦しい状況は食料問題を悪化させる主な要因の1つである。国連食糧農業機関のデータベース(FAOSTAT)によると、日本の農村部の人口は減少し続けており(全人口に対する割合は1996年では35.4%だったが、2011年では32.9%)、1億2500万人を超える全人口のうち、農業従事者は約260万人しかいないうえに、彼らの平均年齢は65歳である。

農作業は重労働であり、現在農業に従事している世代が引退する時に誰が引き継ぐのかといった、後継者不在の問題ある。一般的に農業は日本の若者たちにとって、目指すべきキャリアとは言えないからだ。その結果、日本の食料生産量は一貫して減少傾向にある一方、食料の輸入量は増え続けている。日本への食料輸出量を国別で見ると、アメリカが大差で1位であり、次いで中国、オーストラリアという順である。

輸入品の上位3品は大豆(伝統的消費品)、小麦、トウモロコシ(伝統的消費品ではない)である。トウモロコシ製品(コーンやコーンフラワーなど)は日本の夕食の食卓やスーパーマーケットではあまり見かけないため、トウモロコシが上位に含まれていることは驚きである。しかし、2006年の統計によれば、トウモロコシの輸入量のうち66%は実際には家畜のエサである。この事実は、前述した日本の食肉への傾倒を反映したものであり、農業輸出国から日本への「バーチャルな水」の移送の多くを招く原因でもある。さらに、このような状況は、特に物価が上昇した場合、日本の国際収支に影響を及ぼす。

石油価格の高騰は食料価格の高騰を招く

石油価格が1バレル当たり147USドルに急騰した2008年、日本では食料価格の連鎖的な急騰が懸念された(そのため読売新聞の先ほどの実験が行われたのだ)。多くの評論家は石油価格と食料価格の明らかな関連を指摘している。食料価格の高騰は、主に発展途上国にとって主要な懸念材料である。発展途上国では食料価格の高騰が何百万もの人々を困窮状況に追いやり、モザンビークやエジプトといった国々で最近見られたように、暴動を引き起こす引き金にもなり得る。

一方、日本のような豊かな国の人々は、割引商品を探したり、食生活を変えたり、あまり重要ではない消耗品を買わないなど、食料価格の高騰に対処しやすい。2008年当時、最悪の事態と言えば、バターが入手困難になったことくらいだ。

より最近の例としては、2011年3月11日の災害に際してヨーグルトや納豆といった一部の食品が品薄となった。省エネルギー対策によって安定した電気供給が困難となり、低温の衛生的な生産環境が整わなかったためだ。しかし食料システムは総じて、危機的状況においても食料を人々に提供することができた。では、石油価格や災害によって誘発された影響が著しく深刻化する限界点、あるいは一種のティッピング・ポイントは存在するのだろうか?

石油生産のピークと予想される石油価格の危機が到来した場合、輸入に依存する日本はどのように対処するのかが問題である。世界トップクラスのシンクタンク、チャタム・ハウスのポール・スティーブンス氏は2008年、石油価格がバレル当たり200USドルを超えた場合、石油需給が逼迫し、マクロ経済に深刻な影響を及ぼすと論じた。続いて2010年に発表されたロイズ・オブ・ロンドンとチャタム・ハウスによる報告書は、石油危機は早ければ2013年に生じる可能性を指摘した。その他の複数の報告書は、世界の石油生産のピークをより遅く2015年から2020年の間に設定している。しかし、日本が食料システム全体の再編に効率的に対処する時間があるかどうかを考えた場合、ピークオイルの時期に関する議論は現実的ではない。

ボーイズ氏自身は石川英輔氏の著作に言及している。石川氏は江戸時代の経済に関する作家で、2050年の日本の状況について論じており、「ゆっくりとした崩壊」のような状況を描いた。輸入量が徐々に減少し、輸出は落ち込み、経済も人口も減少するとい う状況だ。

イラスト:Amazon Japan

イラスト:Amazon Japan

日本におけるピークオイルの影響に関する文献は多くない(ほとんど皆無である)。このテーマは2000年、『日本における食料とエネルギー 21世紀の食料事情を考える』と題されたアントニー・ボーイズ氏による示唆に富む論文の中で、食料安全保障との関連で言及されている。ボーイズ氏は、農業内部(機械類)においても農業外部(輸送)においても、また石油化学製品から抽出される農薬にとっても、エネルギーの使用が農業システムの核を成すと論じた。したがって、ピークオイルのシナリオどおりにエネルギーが入手困難になれば、農業生産性は下落すると同時に、食料の輸入に掛かる経費は増大する。

ボーイズ氏は人口動態の変化、利用可能な農地、栽培面積、収穫率の相互関係に注目し、日本が食料自給率を将来的に取り戻す可能性を次のように予測した。

ボーイズ氏は人口が減少するまでに約50年かかるとし、耕作可能な農地は1950年当時の広さ、すなわち国民1人当たり約0.09ヘクタールに拡大すると論じた。彼の言葉を借りれば、この「人口対農地の割合は、快適とは言えないまでも生命を維持できる数値である」

2008年に発表された日本消費者連盟の真下俊樹氏による他の研究では、消費パターンに注目した対策を講じれば、食料自給率を早急に増やすことが可能だと論じている。つまり、食料の供給問題だけを見るのではなく、肉食を減らす、地産地消を促進する、放置された農地を再活用するといった消費パターンに注目するのだ。真下氏は、日本には食料自給率を健全なレベルである75~80%にまで早急に上昇させる力があると論じているが、それをどのように実現できるかという問題、すなわち、消費パターンを変えるためにどのような政策や対策が必要かという点は、彼の論文では言及されていない。

長期的な食料緊急事態への対処

多くの日本人にとって、日本が長期にわたる食料安全保障の問題に直面するという状況は、にわかに理解できないかもしれない。世界全体が直面する未来を表現するためにジェームズ・ハワード・クンスラー氏が使った言葉、「長期の緊急事態」を借りると、状況はより分かりやすいかもしれない。人口動態の著しい変化を考慮した場合、基本的に日本の食料自給率のシナリオは、石油に依存した近い未来よりも現時点の方がましだろう。

現在の傾向が続くなら、食料供給の問題はさらに悪化し、大きな困難が生じると考えられる。ボーイズ氏自身は石川英輔氏の著作に言及している。石川氏は江戸時代の経済に関する作家で、2050年の日本の状況について論じている(『2050年は江戸時代』講談社、1998年)。彼は主に「ゆっくりとした崩壊」のような状況を描いた。輸入量が徐々に減少し、輸出は落ち込み、経済も人口も減少するという状況だ。(同書の英語版はないが、石川氏による同様の作品をジャパン・フォー ・サステナビリティのウェブサイトで読むことが可能だ)

石川氏が記した様々な変化を読むと、気が重くなる。公的部門の借り入れ額や経済の停滞といった現在の日本が抱える主要な問題を考えれば、なおさらだ。しかも、日本国民は福島の原発事故の影響だけでなく、放射能汚染が懸念される一部の食料供給にも対処しなければならないのだ。食べることが大好きな日本人にとって、農林水産省のウェブサイトは気分を暗くするサイトである。食料の放射能汚染や検査結果に関する様々なニュースを目にするからだ。

ニューヨーク・タイムズ』紙によると、食料への放射能の影響をコントロールするのは困難だと証明された。

「原子炉3基がメルトダウンした原子力発電所から20キロ圏内の避難地域内では、すべての農作業が停止されている。しかし、安全基準値を超えた放射能は、避難地域以外で生産された茶葉、牛乳、魚、牛肉、その他の食料から検出されており、発電所から320キロも離れた場所で生産された食料からも検出された」

より最近では、「8000平方キロメートルを超える範囲で、セシウム137の蓄積量は1平方メートル当たり3万ベクレル」という朝日新聞の2011年9月時点での推測値を、ジャーナリストのスベンドリニ・カクチ氏は引用した。

「推測される汚染地域は福島県のほぼ半分を占める。福島県は日本で3番目に広い県で、総面積は1万3782平方キロメートルだ。さらに福島県に隣接する栃木県と宮城県と茨城県では、それぞれ1370平方キロメートル、380平方キロメートル、260平方キロメートルが汚染地域に含まれる」

食料の放射能汚染の可能性への懸念から、消費者団体や農業従事者は独自の放射能測定センターを設置した。その一例が福島県の市民放射能測定所であり、環境放射能レベルや食料汚染に関するデータを提供している。さらに日本消費者連盟は、低すぎると考えられる放射能の基準値を国際的基準に照らし合わせて高く設定するように中央政府に働きかけている。

福島での原子力発電所事故が日本の食料事情に与える影響は、もう少し時間が経過しないと明らかにならない。しかし、日本の他の場所で原子力事故が再び起これば、すでに危うい食料安全保障の状況は完全に損なわれ、国内の食料供給システムに対して消費者が寄せるはかない信頼を打ち砕いてしまうことは明らかである。したがって、日本の科学者たちが今後4年以内にマグニチュード7の地震が首都圏を襲う可能性を70%と予測していることを忘れないことが重要である。静岡県(東京から200キロ南西)の浜岡原子力発電所が再稼働した場合の安全性を懸念する意見があることも忘れてはならない。

革命を後押しすること

では何がなされるべきか? 日本が将来的に食料を自給するためには、明らかに食料と農業の革命が必要だ。そのためにまず、問題の実情についてオープンかつ透明な詳細を明らかにし、関連する諸問題を一般市民が理解できるようにしなければならない。

高層ビルでの都市型農業や屋内食料工場といった様々な革新技術の導入を通して、日本の優れた技術は時間を稼げるかもしれない。ありとあらゆる空間を食料生産に利用するというアイデアだ。

現在主流の小規模農業から大規模な工業的農業や大規模農場へ、日本の農業を転換することに関心が寄せられている。しかし、農業の規模拡大という方法は、特に大規模農場が大々的に機械とエネルギーを投入する場合、よく知られた諸問題を伴う。

食料生産と生物多様性の保護を確実にする方法として、社会生態学的生産ランドスケープ(里山)の保全に関する日本の伝統的知識の有効性を指摘する人々もいる。しかし、日本の巨大な都市部に住む人々の食料需要が、そのような方法で満たせるかどうかは不明だ。ある専門家が主張するように、日本の農業を救うために過去の持続可能な方法に頼るならば、概念の転換も必要である。つまり食料生産と分配とマーケティングの手法を、本当の意味で環境に優しく、地域限定的で革新的なものにするために、思考の転換が必要なのだ。多額の助成金を受け、高齢化する稲作農家を含む農村部の強固な政治的支持基盤を中核に持つ全国農業協同組合連合会(JA)は、高層ビルでの都市型農業を創造的に取り入れる方向に自らを変革するために、どのような展望を持っているのか?

ここで一瞬、技術革新のことは忘れて、社会的変化に注目してみよう。トランジション・ムーブメントと、その運動が強調する地産地消に、答えの一部が見いだせるかもしれない。この運動は日本では比較的、最近盛んになり、東京郊外の木の花のような自給自足コミュニティーに具体化している。こうしたコミュニティーは、地域社会の貢献、伝統的知識、包括的で優れた組織という適切な要因が揃えば、地域での持続可能な農業は実現できるという証しだ。とはいえ、この運動は大都市というより、町やコミュニティーのレベルでの成功を収めたにすぎない。

もう1つの興味深いアイデアとして、「半農半X」という未来のプロの姿がある。魅力的なアイデアであり、今日ますます多くの若者から共感を集めている。しかし、美化された農村生活への憧れと、厳しく先行きの見えないこと多い世界経済の中での転向の間には、隔たりがある。このアイデアが大規模な形で一気に広まるとは考えにくい。そして今のところ、東京の専門職に就く若者や農業ギャルたちが小さなグループを組織し農業体験をしているにすぎない。

海外に目を向ける日本人

一部の批評家たち(筆者2人も含む)は、難しいながらも前述の活動などによって日本の食料や農業の傾向が逆転することを期待している。その一方で、第2次世界大戦以降、伝統的に権力を行使してきた人々は数年にわたり、長期の食料緊急事態への対処に向けた行動を起こしてきた。

基本的に、日本の巨大食料企業は近年、投資の食指を海外に広げてきた。『ニューヨーク・タイムズ』紙は、日本の食料部門戦略は健康食および菓子の海外市場を特にアジアで開拓することだと2010年に報じた

肥沃な国土を持つオーストラリアでは、日本の大企業が同国の大手企業を買収した。例えばビールメーカーのキリンはオーストラリアの乳製品企業の最大手を買収した。その後、競合会社のアサヒビールは大規模な買収に乗り出した。

さらに興味深いのは、日本の著名なお茶メーカー、伊藤園の下した決定である。同社はオーストラリアのビクトリア州で茶の生産施設を設立する前に、数年間にわたってリスクの高い大規模な投資を行った。この計画がうまくいけば、伊藤園は日本市場向けに日本の代表的な緑茶を生産することになり、将来的に生じると予測される日本国内での生産量の落ち込みを埋めることができる。

日本の人口が減少すれば国内の食料市場も確実に縮小すると考えられる。そのため、上記の例のように先を見越した投資戦略は、ビジネスの点で理にかなっていると考える人もいる。人が1日に消費する食べ物や飲み物は限られている。賢明な企業は、古い市場が崩壊する前に新たな市場を開拓すべきである。

こうした傾向が将来、世界レベルでどのような影響を及ぼすのかを検討するためには、包括的な調査が必要である。しかし、日本の官僚と経団連に属する企業のエリートとの昔からの緊密なつながりを考えると、こうした企業の動きは、たとえ食料そのものが海外で生産されたものだとしても、少なくとも非公式的には、日本の食料安全保障を後ろ盾する政策を反映したものだと容易に推測できる。

別の言い方をするなら、状況は「土地収奪」と呼ばれる世界的な現象に似ている。この現象は、特にアフリカの広大な土地を外国が買い上げ、自国の国民向けに食料を生産するために使うことで、自国の食料自給率は低くても国民は食料を調達することが可能となる。自給率は下がっているのに企業が海外での活動を拡大しつつある日本は、輸入せざるを得ない食料のコントロールを企業に任せるという方法で、少なくとも食料安全保障を保つことになる。

しかし、たとえ日本企業が海外の企業や土地を買い占めて海外事業を展開し始めたとしても、世界の石油価格から食料価格を切り離すことはできない。それを実現できるのは、多くの食料輸入国と同様に日本でも、地域に根ざした持続可能な農業だけである。「底辺への競争を煽るグローバリゼーション」がますます進む中、人口が減り、経済が縮小する日本において「グリーンな」食料生産方法に労働力を集められるかどうかが問題である。

日本政府は2012年初頭、2060年までに人口が(1億2500万人から)8700万人に減少し、その40%は65歳以上になると発表した。引退した国民1人の年金支給をたった1人の労働者が支えることになり、結果として、定年という概念が過去のものとなると懸念される。

2060年を予測すると、おじいちゃんとおばあちゃんがまだ働いていて、家族の誰もが「半農半X」という日本の未来像が見えてくる。

石川英輔氏の著作を踏まえて過去から教訓を得るなら、現在の日本は江戸時代(封建社会)から明治時代(近代的工業社会)へ移行した1868年以降の社会の人々の感覚に近いだろう。大きな変化を伴う時代は、先行きの不透明感や社会不安を引き起こす。

幸運なことに、日本人には劇的な変化への適応力があることを歴史が証明している。この国が食の好みを変えて、化石燃料に依存せず、地域的で持続可能な方法に基づいた食料生産システムの実現に向かうという、わずかな希望があるのだ。

しかし、他の選択肢がすべてなくならない限り、その可能性は非常に低い。日本の政治界やビジネス界のリーダーたちが、安価で豊富なエネルギーを入手できるという前提に基づく世界的な食料システムへの依存から転換を図らなければならないと納得するまで、残念ながら私たちは待たなければならないのかもしれない。そして残念ながら、システムの崩壊を目撃するまで、彼らは納得しないかもしれないのだ。

翻訳:髙﨑文子

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著者

ブレンダン・バレット

ロイヤルメルボルン工科大学

ブレンダン・バレットは、東京にある国連大学サステイナビリティ高等研究所の客員研究員であり、ロイヤルメルボルン工科大学 (RMIT) の特別研究員である。民間部門、大学・研究機関、国際機関での職歴がある。ウェブと情報テクノロジーを駆使し、環境と人間安全保障の問題に関する情報伝達や講義、また研究をおこなっている。RMITに加わる前は、国連機関である国連環境計画と国連大学で、約20年にわたり勤務した。