今年、アメリカのテレビで一斉に放送された大手電話会社の宣伝がある。輪になって座っている、あどけない目をした幼稚園児たちにこんな質問が投げかけられる。「少ないより多い方がいいと思う人は?」ある積極的な子供は次のように答える。「だってもっと欲しい、もっと欲しいって思うでしょ」そしてコマーシャルらしいナレーションが入る。「難しいことではありません……」
経済学者にとって、生活をよくする物に使われるお金と、生活を悪くする物に使われるお金の区別はない。
私たちの経済について言えば、ほとんどのアメリカ人も、より多いことは必ずよりよいと信じている。ここで言う「より多いこと」とは、経済学者が成長と呼ぶものであり、国内総生産(GDP)、すなわち経済活動を測る数値が高ければ、私たちは勝ち組だということになる。つまり、数々の法則や規則が高めようとしているのは、数字である。
それに、より多くのものを求めない負け組などいるだろうか?
しかし先ほどのテレビコマーシャルとは違って、実際の状況はもう少し複雑である。経済学者にとって、生活をよくする物に使われるお金と、生活を悪くする物に使われるお金の区別はない。GDPはその両方を同じように扱うのだ。GDPが伸びれば、私たちは絶好調だということになる。しかし、私たちが社会として本当はどんな状況なのか、GDPは全く教えてくれない。
私が「モア(より多く)のゲーム」と呼ぶ状況では、政治家は順調に成長し続ける経済に喝采を送る。そうしている間に、私たちの健康指標は悪化し、収入格差は拡大し、極氷は解けている。
しかし、ゲームの趣旨を変えてみたらどうか? 私たちの経済の目標がモアではなくベター、すなわち、よりよい健康、よりよい仕事、地球で生き延びるためのより高い可能性だとしたら? そういった目標を達成した者こそ、勝ち組ではないか?
それこそが、私が新しい映像作品「The Story of Solutions(解決策の物語)」で問いかけた疑問である。
作品の中で私は、経済全体の目標を変えること(モアからベターへ)は大仕事であることを認めている。すぐにすべてを実現するのは不可能だ。しかし、ゲームを変える解決策に注目すれば、現在私たちがより速く、安く、新しい物に価値を置いているのと同じように、より安全で、健康で、公平な物に価値を置く経済を着実に構築できる。
では、ゲームを変える解決策とはどのようなものか?
それは、企業から権力を取り返して人々により多くの権力を与える解決策だ。幸福と福祉は、より多くの物を買うことから生まれるのではなく、私たちのコミュニティや健康や目的意識から生まれるのだという真実に価値を置く解決策である。また、人々や地球に対する損害も含め、解決策から生じるあらゆるコストに対して責任を持つ。言い換えれば、この解決策は、今日ではほとんどの事業が行っているようにコストを外部化するのではなく、内部化するのだ。さらに、基本的欲求さえ満たすことができない人々と、公正な分け前をはるかに超えて消費する人々の間の大きな貧富の差を縮める。
こうした条件をすべて満たす解決法があれば、私は賛同したい。そして、そういった解決法はあちこちで誕生しつつある。
- 例えば従業員が経営者となり、クリーニング業、ソーラー事業、生産性が高い都市型農業といったグリーン事業を行っているクリーブランドのEvergreen Cooperatives(エバーグリーン協同組合)は、健康に考慮し、安全で、民主的に運営されている。
- イタリアのカパンノリの、いわゆる廃棄物ゼロ・タウンでは、地域住民や企業や政府が廃棄物の管理向上を目指すだけではなく、コミュニティが一丸となり、廃棄物を土壌のための堆肥に再利用したり、使い捨て製品には再利用可能な代替材料を使ったり、廃棄資材を利用したりすることで、そもそもゴミは廃棄すべきものなのかどうかを問い直している。
- さらに、「共同的消費」という新しいトレンドもある。かつては共有として知られていた行動だ。共有(Sharing)と聞くと、子供向けテレビ番組のキャラクター、バーニーが歌う曲のテーマのようだが、従来のゲームにとって共有は大きな課題だ。レンタサイクルやオンライン・プラットフォームといった取り組みを通して、私たちは自動車から家にいたるまで、あらゆるものを共有することができる。そのような取り組みは、さらに多くの物を望むという単調な繰り返しから私たちを解き放ち、資源を節約し、共有しなければ手に入らなかった物を使えるようになり、コミュニティを築く。すてきなことだ。
先ほど述べたように、経済の目標をすぐに変えることは難しい。しかし、状況を変革する上記のような解決法が勢いを増すにつれて、私たちは転換点に到達するだろう。そのためには、私たちはベターを目指す新しい目標から目を反らしてはならない。最新の新興企業の株価や最新のiPhoneのバッテリー寿命のニュースはあまり聞かなくなり、地球や地域の健康に関するニュースをもっと耳にする状況が、一世代以内に実現できると思う。
だから、「より多いことはいいことだ」と説き勧める人に出会ったら、ぜひ「私はベターを選ぶ」と宣言してほしい。
翻訳:髙﨑文子