シェル裁判とエコサイド撲滅の機運

住民の長年の奮闘が実り、ついにオランダの巨大石油会社、シェル社はニジェール・デルタ地帯で引き起こした大損害に対する法的責任を取ることになった。同地帯では、推定1000万ガロンにのぼる原油流出が起きている。

ロンドンで起こされた集団訴訟で、シェル社は、ボド・ボニー・トランスニジェール・パイプラインが2008年に破損したことの全責任を負うことになった。なお、コートジボワールの地域住民とロンドンの法律事務所も同様に、石油会社に責任を認めさせた。

このような判例はおおいに喜ばしいことだ。しかし、こうして勝訴しても、ニジェール・デルタ地帯のコミュニティと自然環境が、社会および環境の両面で不当な行いに苦しめられた数十年を取り戻すことはできない。

悪事の償いがなされている間、法律は事後対策として行使されているように見える。ニジェール・デルタ地帯がかつての姿の片鱗を取り戻すまでには数十年もかかるだろう。ここで浮かび上がってくるのは、私たちには何らかの事前対策が必要だということである。大規模な環境破壊が起こらないように先手を打たなければならない。そのために肝要なのは、そのような人為的な大惨事を違法とすることだ。

エコサイドを罪に

エコサイドとは、「ある地域において、人為的その他の要因で、住民の平穏な生活が甚だしく損なわれるほどに、生態系が広範囲にわたり、破壊、損傷、損失などの被害を受けること」と定義される。

環境権保護を訴える国際弁護士で法廷弁護士のポリー・ヒギンズ氏は、国連の定める平和に対する罪の5つ目としてエコサイドを認定すべきだと提言している。これが実現すれば、エコサイドはジェノサイド、戦争犯罪、人道に反する犯罪、戦略犯罪に並んで、国際刑事裁判所で処罰される対象になる。

エコサイドが罪になれば、それが抑止力になって、企業や金融機関のトップや、各国の首脳らは、エコサイドにつながりそうな事業や資金提供あるいは支援を絶対にしなくなる。そのようなことに手を出したら、刑務所送りになりかねないからだ。

エコサイド撲滅キャンペーンはまた、エコサイドは厳格な責任を伴う犯罪だと提言している。つまり、エコサイドで誰かを有罪にするには、意図の有無に関わらず、それを引き起こしたことを証明すればよい。シェル社の場合も、ニジェール・デルタ地帯を破壊する意図があったとは考えにくい。そうではなく、同社は利益を上げようとする中で、許せないやり方で責任を放棄したのだ。

戦時中の大規模な環境破壊はすでに法律で禁じられている。1977年の 環境改変技術敵対的使用禁止条約では、破壊の測定基準が規定されている。それによると、ある程度の規模(200平方キロメートル以上)、期間(約3ヶ月以上)、影響(人命、自然経済資源、その他の資源に深刻または重大な程度の崩壊あるいは損害を与えていること)が目安になっている。

国連加盟国がこの条約に批准した背景のひとつに、ベトナム戦争における枯れ葉剤の使用があった。枯れ葉剤の影響は壊滅的かつ長期にわたり、戦争という特殊状況下であっても決して容認される範囲ではなかった。このような行為を国際的に犯罪とすることで、直接的に抑止力が働くようになった。実際にその結果として、環境改変技術(化学兵器など)が戦時中に使用されることは著しく減少した。

ヒギンズ氏の提言はシンプルだ。エコサイドを戦時中だけでなく、平時においても常に罪にしようということだ。キャンペーンの主旨によれば、この法律は企業活動を阻むものでも、暴利をむさぼることを禁ずるものでもない。破壊につながる行為をやめさせ、大規模かつ不当な略奪から利益を上げさせないようにすることが目的だ。企業に責任を取らせるということである。

そして将来に目を向けてみると、この法律は私たちの目を新しい形の地球ガバナンスに開かせる可能性を秘めている。そこでは地球は、「生命を持たず、活動もしない物体で、商品として利用したり、売買したりしてよいもの」ではない。そうではなく、地球は「呼吸をする生き物で、固有の価値を持つことを認められ、理解と責任感をもって扱われるべきもの」である。ところが、私たちの今日のビジネス戦略は、世界の生態系を痛ましいほどに犠牲にしながら、何よりも利益を優先している。

しかし、エコサイドを罪とするならば、地球の破壊は確実に利益にならないことになる。このような変化から期待されるのは、国際的な競争の場が公平になり、企業がより持続可能なビジネスの機会に目を向けるようになることだ。

続々と上がる声

エコサイド撲滅キャンペーンが1年余り前に始まってから、地球とそこに住むものを食い物にするシステムに反対の声を上げる人や行動を起こす人の数は増加の一途をたどっている。

たとえば、あるティーンエージャーのグループ( iMatter)は、弁護士のグループと協力して、大気を保護しなかった責任があるとして、米国政府を訴えようとしている。このような訴訟の目的は、大気を特別に保全する価値がある「公共の信託財産」であると宣言させることだ。汚染された河川や沿岸を浄化する時に唱えられたのと同じ概念である。

また、この記事を書いている時点でも、NGOや企業、活動団体の国際的なネットワークが、アサバスカ・オイルサンドで人権と環境権の侵害が多数発生しているとして、非難の声を上げている。これらの侵害には、アサバスカ川の汚染、有害物質による大気汚染、徐々に進む農地破壊などが含まれる。

そうした中、ファースト・ネーション(カナダに住む先住民族)のコミュニティでは、稀なタイプのがんや自己免疫性の病気が異常な高率で発症しているほか、彼らの伝統的な生活様式はじわじわと蝕まれている。反対の声を上げている人たちには、ごく一部を挙げただけでも、ビーバー・レイク・クリーの人々(アサバスカの先住民族)、Co-Operative、化粧品会社のラッシュ、350.org、Avaaz、グリーンピース などが含まれている。これらは、私たちの地球が無責任に破壊されていることに抗議して立ち上がった人々のほんの一例だ。

さらにエコサイド撲滅キャンペーンは文学界でも勢いを得ている。ヒギンズ氏の同名の著書は最近、英国でピープルズ・ブック・プライズを受賞した。

このような意識の高まりを受けて、9月30日には英国最高裁判所で模擬エコサイド裁判が開かれる。この実験では、エコサイドを起こしたという想定で架空のCEOが陪審員の前で裁判にかけられる。この模擬裁判の様子はライブで世界中にストリーミング配信される予定で、資料集とDVDが英国の学校、短期大学、大学に配布される。

この日は誰でも討論に参加し、エコサイドは何かについて質問し、環境破壊の罪で告訴するとはどういうことかを知ることができる。利益のために環境が傷つけられてもいいのか、この利益で実際に恩恵を受けるのは誰か、私たちにとって自然環境とは何を意味するのか、などを考えるきっかけにもなる。

さらに、平和に対する罪としてエコサイドを犯罪とすれば、乏しい資源をめぐる不可避の紛争に終止符を打てるかもしれない。かつて英国政府の主席科学顧問を務めたデビッド・キング卿は、「21世紀は資源戦争の時代になり、私たちは水と石油を中心に、残された最後の資源をめぐって争うことになる」と警告している。

しかし、エコサイドが罪になれば、私たちは環境に悪影響を及ぼさず、持続可能な方法でエネルギーを調達するようになるだろう。さらに、各国が自国でエネルギーを作り出すようになれば、エネルギー保障が堅固になり、それと同時に、資源の枯渇に端を発する紛争は避けられるだろう。

長期的な希望は、国際的なレベルでのそのような法的枠組みが、各国政府や地域社会に落とし込まれ、それによって、環境的正義の新しい波が到来し、固められていくことだ。

社会的・環境的責任は、ビジネスを導くものであるべきで、決してボーナスの上乗せになってはならない。エコサイドを罪とすることで、世界に向けてメッセージが発せられる。それは、私たちは大規模な環境破壊を一切認めない、ということだ。利益よりも優先されるべきものがきっとあるのだ。

翻訳:ユニカルインターナショナル

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シェル裁判とエコサイド撲滅の機運 by ロバート・ホルトム is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.

著者

ロバート・ホルトム氏はエコサイド撲滅キャンペーンのキャンペーン・ディレクターである。法廷弁護士・国際弁護士のポリー・ヒギンズ氏と共に、大規模環境破壊は犯罪であるという認識の確立に取り組んでいる。また、地球コミュニティ全体の権利を考慮して、地球ガバナンスを総体的に捉えるべきだと熱心に提唱している。