カナダ全域に存在するさまざまな土着のファースト・ネーション・コミュニティ同様、クラクワット族もまたサバイバー(生き残った人々)である。一世紀以上にもわたる文化的抹殺、キリスト教への改宗、同化政策、土地収用と再定住によって、その数は十分の一に減少し、絶滅の危機に瀕してきた。しかし環境、社会、文化が激変するなかにあっても、クラクワットの人々はゆっくりとだが着実に、気候変動を含めた社会的また環境的課題に対処する能力を高めている。
このシリーズの前章では、国連大学高等研究所伝統的知識イニシアチブの非常勤リサーチフェローであるグレブ・レイゴロデッツキー氏が、クラクワット族が直面してきたさまざまな課題と成果について理解するため、ブリティッシュコロンビア州クラクワット・サウンドとして広く知られるクラクワット族の伝統的テリトリーに足を踏み入れた。本章では、レイゴロデッツキー氏はトライバル公園の管理者の親切な案内を受けてミアーズ島を訪れ、そこに暮らす人々とベイスギの壮大な原生林との数千年来の結びつきの一端に触れる。
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トライバル公園
ジョーとの旅の2日ほど前、私はミアーズ島トライバル公園の森の長老たち、つまり原生林への表敬訪問を手配していた。トライバル公園の管理者のひとりであるコーリー・チャーリーと、彼の夏期のアシスタントチームのメンバーを訪ねて、彼らがビッグ・ツリー・トレイルの修繕を行うのに同行したいとも思っていた。このトレイルはミアーズ島の森林をめぐる紛争の後、見学者やマスコミに原生林の真の壮大さを経験してもらうのに役立てようと、1980年代に整備された。
ミアーズ島南岸にあるトレイルの出発地点の波止場から、高架木道が大きく弧を描きながら、地球でもっとも古い生物の間を縫うように延びている。アメリカツガ、ベイスギ、トウヒの巨木の周りを回り、こぶのある根を跳び越え、踏み板を数段飛び下りながら穏やかな小川に至り、そこからまた上って戻るのである。このトレイルはかなり短く、のんびり歩いても30分ほどのコースだが、トフィーノからここまで水上タクシーやカヤック、クラクワット族の伝統的なカヌーでやってきたほとんどの観光客は、原生林との出会いに深く心を打たれ、その倍以上の時間を過ごす。ここにあるどの植物にも、語られるべき物語と共有すべき恩恵がある。クラクワットの人々は、何世代にもわたって、そうした植物の声に尊敬の念を持って耳を傾け、その恵みを感謝して受け取る方法を学んできた。
クラクワット族の伝説上の存在である緑のウミヘビが描かれた、トライバル公園の黒の制服に身を包み、コーリー・チャーリーと彼の2人の助手が、ビッグ・ツリー・トレイルの修繕を進めるためにミアーズ島に向かう。写真:©グレブ・レイゴロデッツキー
もしクラクワット族のガイドとともにビッグ・ツリー・トレイルを訪れたなら、彼らと植物との数千年来の結びつきを垣間見ることができるかもしれない。そして、クラクワットの人々がベイスギの巨木(なかには周囲18メートル、樹高54メートルほどになるものもある)を、生命の木とみなしていることを学ぶだろう。ベイスギは、カヌー、トーテムポール、ロングハウス、曲げ木の箱、櫂、ゆりかご、ロープ、バスケット、さらには衣服まで、たくさんの恵みを授けてくれるからだ。ベイトウヒの樹液は発火具として最適で、それゆえにファイア・ツリーと呼ばれている。
森にはサーモンベリー、ハックルベリー、クロミキイチゴ、サラルの実、イチゴ、ブラックベリーなどのさまざまな果実が豊富で、食料としても薬としても利用される。シシガシラ科のシダの渦巻状の若葉は春の珍味として愛され、森で育つ800種以上の地衣類の多くが、伝統薬の重要な材料である。雨林を知り尽くした者にとって、それは住まいであり、庭であり、食品貯蔵庫であり、工場であり、薬品戸棚であり、それらすべてをひとつにまとめた聖なる場所である。
湿地に設置されてから30年を経て、高架木道のあちこちで板と梁を取り替える必要がある。写真:©グレブ・レイゴロデッツキー
コーリー・チャーリーと彼の2人の助手が身につけているのはトライバル公園の黒い制服で、背中に大きな緑の輪とその中でとぐろを巻くクラクワット族の伝説上の存在である緑のウミヘビが描かれているため、一目で公園管理者だとわかる。3人はベイスギの風倒木を割って板を作りながら、トレイルの修繕の必要な箇所にそれらを運んでいる。湿地に設置されて30年を経て、高架木道のあちこちで板と梁を取り替える必要がある。それは骨の折れるうんざりするような作業で、利用できる道具が不十分であればなおさらだ。だが、それはやらなければならない仕事であり、彼らは辛抱強く続けていた。
「この古いトレイルだけで終わりではありません」とコーリーは言う。「取り替えたいのは全部なんです。おそらく木道300メートル分くらいになるでしょう。大変な仕事ですよ。公園のほかの場所に、さらに森歩きを楽しめるような林床トレイルを整備する予定です。ただ、望むところすべてに木道を造る資金がありません。実現すれば最高なんですけどね」
またしてもチェーンソーが故障し、コーリーはその日の作業を切り上げざるをえなくなった。修理のためトフィーノに戻ろうと、ほかの道具を集めて、使い古して色あせたバックパックに入れ、半分に切った丸太に腰を下ろして一服する。雨林の湿った空気の中、ベイスギのおが屑の甘く強い香りから、サウナや太陽で焼かれた屋根板、ベイスギの板のうえであぶり焼きにされたばかりのサケが頭に浮かんだ。どれも、この木が人々にもたらす心地よさ、食物、生命という恵みを感じさせる。
「子どものころは引っ越しの多い暮らしでした」とコーリーは思い出を語り始めた。「私の父はここで育ち、ここで暮らしましたが、私と兄たちを連れてここから離れ、最初はバンクーバーに、それからいくつか別の場所へと移り住みました。私が16歳か17歳のころ、戻って来てここで暮らしてほしいと父に言われました。当時は父と一緒に住んでおらず、街で良いことよりも悪いことの方にのめり込んでいました。そこで、私は引っ越ししました。都会生活と引き替えに森と海とあらゆるものを手に入れたのですから、とても良い選択だったと思いました。すぐにわかりました。『なるほど、これがそうか!』という感じでしたね。ここでWilderness Certificate(原生地域に関する許可証)を取得したので、観光産業の仕事を見つけることができました」
風倒木を切って支持梁を作っている最中にチェーンソーが壊れたので、コーリーはトフィーノに戻って修理しなければならなくなった。 写真:©グレブ・レイゴロデッツキー
「それから私は、私たちのテリトリーに急速に広まった、ワイヤロープを人が滑車でぶら下がって進む、新しいZip-line(ジップライン)のガイドとして働き始めました。このトライバル公園の仕事が持ち上がったとき、私は飛びつきました。これは最高の仕事です! でも、お話ししたように資金難のため、私はこの冬、少し休みを取らなければいけないかもしれません。ビクトリアに行ってそこの大学でいくつか講座を受講するつもりです。環境保全を考慮したグリーンデザインについて学びたいと思っています。トライバル公園の将来と私たちがすべきことについて考えるときなど、何を造るのかについて、つねに慎重に考慮する必要があると私は強く信じています」
トライバル公園の4人の常勤スタッフでは、必要なことをすべてこなすだけの時間がないとコーリーは説明する。クラクワット族が1984年に作った最初のミアーズ島トライバル公園のほかに、2009年にはHa’uukmin(ケネディ湖)トライバル公園が開設され、2013年にはTranquil Creek(トランキル・クリーク)とEsowista(エソウィスタ)の2つが新たにトライバル公園に指定された。4人のスタッフでクラクワット族の伝統的テリトリーのほとんどと、クラクワットサウンドの半分以上を担当して管理・保全を行うのは不可能だ。あまりにも人員が少なく、事務所の運営資金はなきに等しい。毎年ビッグ・ツリー・トレイルを訪れる観光客数を、なんとなくでいいから知りたくても、当て推量するしかない。とはいえ、この2年ほどの経験から、観光シーズンのピークである6月から8月にかけて、約5,000人の観光客がビッグ・ツリー・トレイルの木道を歩くとコーリーは推測している。
「トライバル公園の仕事は最高です!」とコーリー・チャーリーは語った。彼は古いトレイルを修理しているだけではない。クラクワットの人々が自分たちの土地の手入れを続け、第三者がその土地を愛し、守ることを学べる道を再建しているのである。写真:©グレブ・レイゴロデッツキー
私たちは故障したチェーンソーを、停泊させていたトライバル公園のボートに運んだ。このファイバーグラス製の小型ボートはトライバル公園に寄付されたもので、屋根とガラス底つきだが、ガラス底の半分は今では藻に覆われている。戻る途中、コーリーはチェーンソーの修理に2日ほどかかることを考え、自分の予定を変更し、チームのメンバーにはローンコーン山の頂上へと向かう新しいトレイルの仕上げなど、トライバル公園の別の作業を割り当てなければならない。痩せているが精悍な顔つきのコーリーには、自分が何者で、どこに属し、どこに向かっているのかを知っていることから来る落ち着きと自信が感じられる。その日の出来事や仕事全般、クラクワット族の苦境に落胆している様子がないどころか、すべてを苦もなく乗り越えているようだ。
助手たちがそれぞれの道具をボートに積み込むのをじっと待ちながら、コーリーは紫煙をくゆらせ、それが鼻の下で伸び始めたごま塩ひげから立ち上り、黒のカデットキャップから覗く長い白髪交じりの髪の中に消えるのを、目を細めて見ていた。コーリーの眼差しは温かく、私と話したり、トレイルで私たちを追い越す数人の観光客と会話をしたりするときの口調はのんびりしていて友好的だ。彼は古いトレイルを修理しているだけではない。クラクワットの人々が自分たちの土地の手入れを続け、第三者がその土地を愛し、守ることを学べる道を再建しているのだ。トライバル公園のエリ・エンス副代表が後で説明してくれたように、これこそがトライバル公園が育もうとしている結びつきなのである。
翻訳:日本コンベンションサービス
本シリーズ「クラクワット族と気候変動」の続編は、Our World日本語版で掲載予定です。
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本稿は、気候変動に関する先住民の声を世界に届けることを目的としたマルチメディア・プラットフォームであるConversations with the Earth(CWE)イニシアチブのHealing the Earthプロジェクトの一環として寄稿され、Land is Lifeの支援を受けています。CWEの活動については、FacebookやTwitter @ConversEarthでもご確認いただけます。